2011年1月21日金曜日

Namibia: Swakopmund: リゾートタウンで楽々Days

[ナミビア ~スワコップムンド~]

 Buffyと!
南アフリカでは、まだまだ白人社会の存在が根強かった。
勿論、彼らも代々そこで生まれ育った南アフリカ人。誇りを持ってブラーイ(南アフリカで言うBBQ。語源はオランダ語)が大好きという彼ら。
でも、以前タンザニアに行ったときは、観光客以外は白人を見かけることがあまりなかったので、思ったより白人が多いことにびっくりした。事実、お店の人など働いている人や道行く通行人以外で私達が出会ったり話したりしたのは白人の人ばかり。まだまだアパルトヘイトの傷が残っている南アフリカ。何も知らなかった自分を思い知らされた。
とっても興味深い歴史なので、本を読んだりして勉強しなきゃ。

さて、ナミビアはと言うと、南アフリカと比べヨーロッパ文化が少し薄く、アフリカのイメージと近かった。人は、南アフリカと比べて几帳面な印象を受けるかも。
でも、Swakopmund(スワコップムンド)は西欧色が強かった。砂漠の広がるナミビアのビーチタウンと言うこともあり、ちょっとリッチなバケーションタウン。ドイツっぽい(ここはドイツの影響が強い)カフェやお洒落な本屋さんやお土産屋さんが立ち並んでいて、町の中心は白人社会。
またまたアフリカ大陸にいると思えなくて、なんだかちょっと違和感。まあ、これもアフリカの一面なんだろうなあ。


ツアー中船に野生のアザラシが乗ってくる
今回お世話になったのは、コッツウォルズでお世話になったTom(トム)とBetty(ベティー)の娘さん、要するに私たちの東京での友達、Jason(ジェーソン)のお姉さん。Buffy(バフィー)はとっても面白い人で、人生やってできないことはないな~と思わせる、とってもパワフルな人。
パリやLA、NYを飛び回り、ファッション雑誌界でめまぐるしく働き、20代前半で若くして小さな会社を設立。がむしゃらに働く内にいつの間にか超有名雑誌の写真撮影などを担うまでになり、30歳過ぎでその会社を売却。
それからは、お金を稼ぐ為に働く事はなく、とにかく静かな人生を送りたくてナミビアの超ど田舎の人里はなれたところに家を買い、電気も交通もままならない所でゆったりと過ごしている。野鳥おたくのスイートな旦那さんと鳥の声を聞きながら本を読んだり、無心に手で洗濯してるとなんだかリラックスできるんだとか。
一方、地元の女性の啓蒙に力を入れたり、経験を生かして地元のドキュメンタリー作りの手助けをしたり、社会貢献に力を入れている。
まさに、私の理想!私も一生食べていける目処をつけて若くして退職し、空いた時間で自分の為にお金を稼ぐのではなく、社会貢献するのが夢。
なので、Buffyにはとにかく質問しまくっちゃった。

こんなに近くにペンギンが!
今回お邪魔したおうちは、Buffyのスワコップムンドにあるセカンドハウス。一年に3ヶ月ほどは、電気も水もガスもある、「現代的」なこの海辺の別荘で過ごすんだとか。
さすが、インテリアデザイナーのBettyの娘さん。とにかくお洒落!キッチンも快適!ゲスト用の部屋を使わせていただいたんだけど、これもまるでリゾートのヴィラって感じ。

滞在中は、ご近所のこれまたリッチなお宅のパーティーに参加したり、ボートツアーでアザラシやイルカを見に行ったり、海辺のバーに犬のTessa(テッサ)を連れて夕日をエンジョイしに行ったり。更に、医者の友達でボランティアで傷ついたペンギンを保護しているお宅にオジャマさせてもらったり、手巻きパーティーをしたり。う~ん、楽しかった!

JoeとTessa. まるで絵のよう


さて、ナミビアに来たかった最大の理由は、勿論ナミブ砂漠。
南アフリカで2週間~3週間のトラックでケープタウンからヴィクトリアフォールズへ移動するキャンプツアーをやりたいと思っていたんだけど、予算が合わなかったのと、果たして3週間もの間、大人数で色んな所を駆り立てられながら回るのが楽しいかを熟考した所、結局ナミビアまで自分たちで行ってそれから考えようということになった。

喜んでくれた手巻きパーティー
Buffyにその話をした所、なんと快く「うちのランドクルーザー使っていいわよ」と!!
しかも、友達にキャンプ道具一式を貸してくれると言う人まで探し出してくれて、一気にナミブ砂漠が近くに。本当にありがたい。
私は運転が大好きなんだけど下手なので、Joeが一手に引き受けることに。


こうして、50Lもの水を入れたタンクを乗せ(砂漠に行くまでも荒野が広がり、時にはガソリンスタンドが何時間も離れていたりするため、緊急時のために水はとっても大切)、キャンプ道具をがっつり詰め込み、いざ、ナミブ砂漠へ出発!!


楽しかったスワコップムンド!

● 写真:スワコップムンド

2011年1月15日土曜日

South Africa : Namibian border : 悪夢の国境越え

[南アフリカ ~ナミビア国境~]

さよなら、テーブルマウンテン
島国日本で育った私。
インドネシアで幼少時代に8年も過ごしたけど、あそこも島国だった。

島国で育つとなかなか経験できないのが、陸路での国境越え。
別に悪いことしてるわけじゃないのに、出入国手続きのために並んでるといっつもどきどきする。
空港でイミグレーションを通るのとはまた違う緊張感。
陸路では、もし次の国に入れなかったら、バスや電車は待ってくれないという恐怖がある。
いつも英語が通じるわけじゃないという恐怖もある。
特に、国境に町がない場合は、次の交通手段の手配をどうしたらいいかわからないし。泊まる所もないし。

この旅で幾度も繰り返してきた陸路の国境越えだけど、やっぱりこれだけはまだ慣れない。

Cape Town(ケープタウン)からバスで10時間ほどで、南アフリカ~ナミビア国境に着く。
ここは、町もない、荒野の中にポツーンと入出国審査のオフィスがあるのみの小さな国境。
まずは南アフリカ側の国境でバスを降りる。丁度日も暮れ、周りは段々と闇に包まれてきている。

バスでナミビアへ!
前の方の席に座っていた私たちは、素早くバスから降り、出国審査の列でも前のほうに並べた。ラッキー!
一人目、二人目…と順調に列は短くなっていく。
「Next」
私の番が来て、パスポートを渡す。順調に「ドン、ドン」と出国のスタンプを押す音が聞こえ、まもなくパスポートが返ってきた。
次はJoeの番。これも問題なし。
あっけなく出国審査終了!まだまだ長い列を横目に外に出た。

ところが、このままいつも通りバスに戻ってみんなが終わるのを待つんだろうと思いきや、隣の警察のオフィスに行くよう促された。
完全に出国する前に、みんなこの警察でも審査を受けないといけないらしい。
出国スタンプを貰ったという事は、もう南アフリカを正式に出国したはず。なんでまだ何かあるんだろう?と思ったんだけど、まあ仕方ない。

トイレ休憩で立ち寄った所。周りは何も無い
先ほど前に並んでた人達が警察のデスクの前に並んでいる。静かなオフィスで強面の警察官がパスポート情報をPCに入力し、画面を睨んでいる。それでも一人一人の審査は短く、どんどんと列が短くなっていく。
「Next」
私の番。
パスポートを渡す。カチャカチャ...。
PCの画面から警察官が目を離し、おもむろに
「Please stand aside.」(横で立って(待っていて)ください)と。
なんでじゃ~?
まあ、今まで列にいたのは南アフリカ人パスポートの人ばっかりで私のは珍しい日本パスポートだからかな?と納得し、列から外れ、横で待つことに。
次のJoeも横で立ってるように言われ、二人で次々と短くなる列を観察。
折角列の前のほうに並べたのにな~、残念!なんて思いながら。

立たされてる理由はわからないけど、早く終わらないかな~と引き続きどんどん短くなる列をみてると...。
あれ?あのドイツ人たちはすんなり通ってるぞ?外国人っていう理由じゃないのかな?と、立たされてる理由が謎に包まれていく。そう、全ての外国人が対象というわけではないらしい。
それを証明するかのように、とっても人の良さそうな背の高い25才位のヨーロッパ人の男の子に加え、南アフリカ人の女性とその小学生低学年くらいの子供二人も私達と一緒に待ってるように促されていた。

ハプニング:砂漠を走るこのバスでクーラー故障。
高級バスなので窓が開かないタイプで茹でダコ状態
そして、15分経ったころには、Joe、私、ヨーロッパ人、南アフリカ人+子供二人と警察官二人のみがオフィスに残され、更に静まり返っていた。
待たされた私達6人は、お互いちょっとナーバスながらも大したことは無いだろうと、顔を見合わせて小さな笑みをかわした。

ここで、まずは女性が警察に呼ばれた。
二人がしゃべってるのは、Afrikaans(アフリカーンス語というオランダ語から派生した言語)なのでほとんどわからない。
でも、あれあれ、二人の会話はヒートアップしていく。お母さんの方はどんどん顔が蒼ざめていってる。何が起こってるんだ?!ドイツ語に似てる言葉を拾うと、どうも小さい方の子供について話しているらしい。
ここで、ふっとわかる言葉が耳に飛び込んできた。
「......... "missing child"(行方不明の子供) ............ Mann(ドイツ語だと夫という意味) ...(はどこにいるんだ?)...」

広い荒野が延々と続く
え~~~????もしや、このお母さんに見える人、子供を誘拐した容疑をかけられている?!
お母さんのジェスチャーを見ていると、「でも、でも、この子の目は私に似てるでしょう?」と言っていたり、何か親子だと証明できるものをバッグの中を探したり...。
もはや何が起きているのかわからなくなってきた。
少しパニックに陥ってきたお母さんに警察は後で詳しく取り調べるから待っていなさい、というような事を言っている。


そして次。
警察官はヨーロッパ人の男の子に振り返り、英語で尋問を始めた。
警:「Where are you from?」(出身国は?)
男:「from Finland」(フィンランドです)
警:「How long were you in South Africa and where were you?」(南アフリカの滞在期間と滞在先は?)
男:「I was in Cape town for 4 days, staying in a hotel.」(ケープタウンに4日間、ホテルに泊まっていました)
トイレ休憩
警:「Hm... You have a record here on my computer that you were selling drugs. You have been wanted by police in Capetown.」(ふむ。コンピューターの記録を見ていると、君は麻薬の売買をしていたとなっている。ケープタウンの警察があなたを捜しているみたいだ)
男:「What?!?!?! I did no drugs!」(え?麻薬なんてやっていません!)
警:「But this computer record says you did. There is nothing I alone can do... This matter should be handled by my boss tomorrow morning. We have to detain you here tonight.」(でもこの記録ではそうなっている。私の力では何もできないので、明朝私の上司の指示を仰ぐしかない。それまで君を拘束させてもらう」
男:「No way! I don't understand. I have to get on this bus!!」(なんだって?!僕はこのバスに乗らなきゃいけないんだ!)
警:「Well, let me talk to these guys first.」(ちょっと待ってなさい。まずこの二人に話させてくれ。)

人の良さそうな彼の顔が見る見る興奮して赤くなってきた。怒っているのではなく、パニック状態。

と、今度は警察官が私たちの方に厳しい顔を向けてきた。
もう一度私達のパスポート番号をPCに入力し、画面を睨んでいる。
この時点では、もう何がなんだかわからない私達。手には冷や汗がびっしょり。

警:「Actually, it's a similar story for you two.」(実は、君達も似たような容疑がかかっている)
私達:「What do you mean?」(どういう事ですか?)
警:「Where were you in South Africa and what were you doing?」(南アフリカでの滞在期間と滞在先は?)
私達:「We were staying with a friend's family in Cape Town for 5 days.」(ケープタウンの友達の家族と5日間過ごしました)
そしてまた荒野。日が暮れてきた。
警:「Our record says that you are also wanted by police, as you were trafficking drugs. I see stamps from all over the world on your passports.」(我々の記録によると、君達も国際的な麻薬の密売をしていたとなっている。その証拠に世界中の入出国スタンプがパスポートにある)
私達:「No!!! Impossible! We have nothing to do with drugs. We can give you the phone number of our friend's so that you can call and they can prove that we were not doing anything illegal!」(そんなはずはないです!なんなら私たちがお世話になった友達の電話番号を渡しますよ。滞在期間中何も違法なことをしていないと証明してくれるはずです。)
警:「I have to detain you, too, until our boss comes back tomorrow morning.」(私個人には何もできないから、君達も私の上司が明日出勤するまで拘束させてもらうしかない)


この時点でもう私たちの頭は真っ白。
なんで?誰か私たちのIDを盗んで麻薬の密売をしている?それともこの警察は賄賂がほしいのかしら?なんで?なんで?
こんな荒野の真ん中で拘束されるってどういうこと?
このコンクリートの小さい建物に牢屋があるってこと?
明日釈放されたら、ここから先に行くバスはどうやって手配すればいいの?
それにしても、世界一周しているからスタンプが多いのは当然。
早くカウチサーフィンさせて貰ったLuに連絡して無罪を証明してもらわなきゃ。
電話番号、電話番号...。
...もう、パニック状態。


おっ、ちょっとした山が。でもやっぱり荒野が続く
ショックで蒼ざめた私たち4人は(子供は何が起こっているかわからない様子)、困惑しながら依然として厳しい顔をしている警察がかちゃかちゃと私たちのパスポートの番号を打ち込みながら、画面を睨んでいる警察を見守っていた。

3分経過...。時計の音だけが部屋に響く...。

そして、ふと顔をあげた警察官。
あれ?いたずらっぽい笑みが満面に...?!
「I'm kidding!!!!!!!!!!!!!!!!!!! Here are your passports!」(うそだよーーーん!!!はい、パスポート!)

オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーイイ!!!!!!コラァーーーー!!!!

一気に力が抜け、カウンターまでパスポートを取りに行く数歩はふらふら、パスポートを受け取る両手はぶるぶる震えていた。
怒りと安堵で心が満ち、複雑な表情でパスポートを受け取り、外へ。
その内、ま、いっか~と、怒りも消えうせたけど。

20分のドラマを終え、外に出ると、みんなは税関で荷物チェックを受けていた。
バスの添乗員さんが心配そうに「どうしたの?大丈夫だった?」と聞いてくれた。事情を説明して、「こういうことって過去にもあるんですか?」と聞いたら、「そうなの、時々あるのよ~」と。うちらだけが犠牲者じゃないのね。

ナミビア側の国境は、真面目一辺倒で、笑顔ひとつもくれない入国審査だったけど、すんなり終了。
こうして、思いがけないハプニング付きの国境越えも無事終了。


ここで、なんでうちらだったのか、と考えてみる。
多分、アフリカーンスか英語がしゃべれて、冗談のわかりそうな、人の良さそうな人をわざと選んだんじゃないかと思われる。うちら6人の内誰がキレたとしてもそんな害がなさそうだし。怖そうなドイツ人3人組は選ばれてなかったし。


ハプニング:楽しみにしてたエアロが
Joeのお尻の下敷きに
さて、今まで幾度と無くいろんな人たちにこのドッキリ話をしてきたけど、みんな反応はそれぞれ。
大笑いする人、怒り出し「信じられない、誰だ、その警察。訴えるべきだ!」という人。
確かに、訴訟大国のアメリカではすぐ訴えるんだろうなあ。

でもね、確かに怖い思いしたけど、あの人達は、あんな荒野の中でスタンプを押すだけのために一年中すごしている。
仕事だと言えばそれまでだけど、逆に、私達はユーモアを忘れずに単調な仕事をしているこの人たちの、些細な娯楽に貢献したと思えば別にいいじゃないかと許せる。
そして何といっても、私たちにとっても他の人に話せる面白旅話が増えたし。
別に私たちにも彼らにも害があるドッキリではなかった。今では笑って話せるウケル話。

怒るのは簡単だけど、こんな害の無い事に怒ってどうする?何が変わる?
状況を変えられないなら、自分が変わったほうが良い。自分の見方を変えた方が良い。
人生、ポジティブに物事を見れるほうがハッピーに生きれるもんだよね。


● おまけ:こんなハプニングはあんまりないけど、準備は必要。国境越えについてまとめました!

2011年1月13日木曜日

South Africa: Cape Town: いっきに夏!!

[南アフリカ ~ケープタウン~]

どこまでも続く空ときれいな海!
灰色のどんより空、止まない小雨、冷たい風…。10月にブルガリアに入って以来、なかなかお目にかかれなかった真っ青に広がる空に光る太陽。夢にまで見た太陽。(大袈裟?)

年が明けて間もない1月8日、Cape Town(ケープタウン)に到着、真冬から真夏に突入!ようやく毎日毎日快晴続きで夏気候。ケープタウンは乾燥していて、蒸し暑さもない。
しかも、今回のカウチサーフィンのホストのLuの家は、ケープタウンの中心から電車で40分と離れているものの、目の前に白い砂浜と済んだブルーグリーンのビーチが広がる絶景を見下ろす小高い丘の上。毎朝毎晩、ベランダからの絶景にため息をつくばかり。

Joshyと庭を散歩
実は、最初カウチリクエストを送ったときは、「うーん、町の中心から遠いのかあ」とちょっと躊躇してたんだけど、ホステルは異常に高くて断念(dormで20ユーロ近く)。でも、ちょっと小高い丘に建ち、ビーチを一望する潮風が気持ちいいバルコニーに座ってヒッピーな家族に温かく迎えられ、今ではこの静かでリラックスした郊外にある家におじゃまさせてもらうことにして良かった~、と思う。
ビーチまで徒歩5分、ペンギンがいっぱいくるBoulder's beach(ボルダーズ・ビーチ)も近い。こういうちょっとしたサプライズは、便利さばかり追求してたら巡り合えないんだなあ。


晩御飯の前にワイン&ダンス
Lu(ルー)のおうちでは、バイタリティ溢れるヒッピーなお母様のDagi(ダギー)、ツアーガイドなど色々やってる妹のNina(ニーナ)と優しいご主人Kingsley(キングスリー)とJoshy(ジョシー)という2歳の男の子、でっかい犬のMaya(マヤ)とフレンドリーなふわふわ猫のNeo(ニオ)が一緒に暮らしている。

毎朝この家ではMayaのお散歩がてらにビーチに行くんだけど、一度同行させてもらった。車にぎゅうぎゅうになりながらちょっと遠くのビーチまで行き、一気に海に飛び込み~!Mayaももちろん一緒にじゃぼーん!

Muizenberg(ミュイゼンバーグ)は他の近くのビーチに比べて温かい(ここら辺は大陸の先端なので色んな海流が来ていて、どの海流かによって温度が違う)はずなんだけど、やっぱりエジプトの紅海と比べると冷たい。それでもあっと言う間に慣れて、波をエンジョイできた。
サメ警報
でも、実はその日の朝、サメが出てサメ警報が出ていたらしく、あまり深くに行かないようにと海からあがって来たときに忠告を受け、ちょっとドキドキした。
ケープタウンは、ホオジロザメが頻繁に出現する(というか、そこに住んでる)ので、サメ監視員と、サメ警報旗がビーチにいっぱいある。二年に一人位のペースで人が襲われるらしいけど、実際に海に入る人の数から考えるとそんなに高い確率ではないと思う。怖いのは怖いけど。

このシャークアタックは、実は人間の自業自得に因るところも大きい。
残念なことに、観光地化されるにつれ、サメも観光のネタにされている。例えば、有名なのは、ケージダイビング。高い金を払ってダイバーがケージ(檻)に入り、餌を周りにばら撒いてサメを誘き寄せ、ダイバーは近くでサメを見るスリルを味わえるというもの。他にも、サーフボードを後ろにくくりつけてボートを走らせ餌を撒き、観光客がサメの写真を近くで取り放題できるツアーとか。 
こんなの、人間=餌、サーフボード=餌という調教をわざわざしてるようなもの。こんな形で自然体系を壊しすのは浅はかだと思う。単に人間の享楽の為に自然の習性を変えてしまうのは、動物好きの私は見ていて心が締め付けられる。


さて、徒歩圏内で行けるビーチの他にも、ケープタウンはいっぱい見るところがある。でも、車がないとなかなか周れないのも事実…。

Table mountain
まず私たちがした観光は、中心街(ダウンタウン)。
ケープタウンのダウンタウンといえば、Long StreetとTable Mountain(テーブル・マウンテン)!ミュイゼンバーグから電車で45分(車だと25分なんだけど)揺られ、最近のワールドカップの為にきれいに改装された大きな駅に到着。
ブラブラと歩いて周ったけど、やっぱりドドーンとブルーの空に映えるテーブル・マウンテンは大迫力!薦められたとおり、ケーブルカーで登ろうと思ったんだけど、快晴なのに風が強くて止まってて断念(結構止まるらしい)。
でも、ケープタウンに行ったことある人は、テーブル・マウンテンは登る価値大と言うけれど、私のワイナ・ピチュの経験からして(登るよりも遠くから見てるほうがきれい)別に特に登れなくても後悔は無いかも。

Boulder's beachで野生のペンギン観察
次の観光は、なんとDagiが、貴重な休日(看護婦さんで夜勤が多いのだ)に運転して連れてってくれた、ボルダーズ・ビーチとジャズ・バー。
ペンギン大好きな私にとって、ボルダーズ・ビーチは絶対行きたいところだったので、レンタカーやツアーなどお金を払わずに連れてってもらえたのは、本当にありがたい。
因みに、ボルダーズ・ビーチのわざわざ囲ってあるところに行かなくても、ありがたい事に、駐車場の入り口の反対側の隣家が庭(?)を開放していて、そこは無料で入れる。
こうして、海から上がってきて一休みしているペンギン達のかなり近くの岩場に座り、ヨチヨチ歩くペンギンや毛づくろいするペンギン、うとうとと眠そうにしているペンギンを3人で暫く眺め、思いっきりリラックス~。
帰りにDagiが好きな、日曜にJazzの生演奏が聞ける海辺のバーに行って、窓からさす温かい夕日と潮風を浴びながら、素敵なJazzに聴き入ってきた。
東京ではお金をかけないとできないのに、ケープタウンではこういうちょっとした事が地元の日常に溶け込んでいて、無料または安く日々を楽しむ文化があるのがすごく素敵だと思う。


見つめあう人間とダチョウ
次の日は、Ninaが色々と連れて行ってくれた。
Ninaはちゃんとした観光ガイドさんだけど、カウチサーファーの私たちにはかなり安くツアーを提供してくれた。
まずは、Ostrich farm(ダチョウ農場)。アフリカではダチョウの卵や肉を食べ、また皮もバッグなどに使われるため、立派に酪農の対象のひとつ。結構広い囲い(30mx30m位)に二羽(オスとメス)ずつ入れられ、ドスドスどすどす走り回っていた。羽の色が黒いのがオス、茶色いのがメス。足だけ見ると、怪獣みたい。まつ毛は長い。なんだか見慣れない動物を近くで観察でき、たくさんの不思議な発見をしてしまった。
貧乏な私たちは、併設のショップを見るものの、何も買えず…。でも、ひとつすごくほしかったのは、ダチョウの卵(殻が結構厚くてびっくり)でできているランプシェード。きれいな手彫りの模様があって、今度戻ったときには是非買って帰りたい。


喜望峰!
お次は…南アフリカと言えば、Cape of Good Hope(喜望峰)!
つい数十年前までは、最南端と信じられていた喜望峰。残念ながら、実は間違っていたらしい。
でも、天気に恵まれ古い灯台のある丘に登ると見晴らしは素晴らしかったし、「Cape of Good Hope」という看板の前で写真も撮れたし、楽しかった。風が半端なく強かったけど。
昔の人は長い航海を経てこの岬を見たとき、達成感を味わったんだろうなあ。なんだかロマンチック。
現在では、喜望峰でなく「本当の最南端」に行くツアーもあるけど、そちらはちょっと遠いし、ガラーンとしていてあまり「最南端来ましたー!」という雰囲気ではないらしいので、私は喜望峰で大満足。なんと言っても、名前が良い。響きもいいし、小学校の社会で習って馴染みがあるし。(ちょっと自己満足だけど)

灯台から見た喜望峰


この向こうは延々とブドウ畑が
そして、いよいよ目玉のワイナリーツアー!
ケープタウンは、大きな都市である一方、海や山に囲まれとっても美しい町。
それだけでなく、乾燥していて涼しい潮風が吹くこの地方は、ワイン生産にも適しているらしい。その為、一時間ほど車で行くと、ブドウ畑が一面に広がる半島に着く。ワイナリーが集まる地方は丘が連なっている事が多く、私が大好きな光景のひとつ!
グラス半杯で真っ赤になる私は、ワインの質やブランドはわからないので、ワインは自分が好きかどうかで選ぶ。ここ最近好きだったのは、名前忘れちゃったけどセブンイレブンで800円位で買っていた南アフリカのワイン。なので、南アフリカのワイナリーはちょっと楽しみだったのだ。

まだ最初のワイナリーで既にできあがっている私
でもここで問題がひとつ。
ひとつのワイナリーで大体3~4つのテースティングがあるんだけど、二つテースティングを終えると真っ赤になる私。もちろん本当は口に含むだけで出せばいいんだけど、素人は、折角のワイン、そんなことしたら勿体な~い!と考えるのだ。

ということで、一つ目のワイナリーのテースティングが終わるころには、顔は真っ赤で、味もわかってるんだかどうだかという状態に。まだテースティングの量(半杯以下)4杯しか飲んでないのに…。
でもワイナリーツアーと言うからには、まだまだ続く。そうは言っても、この事態は予期していたので、3つのワイナリーを回るところを2つにしてもらっていたから、残すところ一つ。
次のワイナリーでもちょっとした工場内のツアーを終え、いよいよ再びテースティングに。
色々と説明してくれているのに、赤か白か位しかもうわからない。でも、おいしいチーズとワイン、堪能しました~。最後はジョーに手伝ってもらったけど。

こうして盛りだくさんのNinaのツアーも終了。晩御飯は、Nina特性のダチョウのボロネーゼ。まあトマト味なので、あまり際立ってダチョウ味はわからなかったけど、おいしかった。脂肪分が少ないので、カンガルーと同じで健康にいいらしい。


Kingley と晩御飯の準備
本当は数日の予定が、5日もお世話になってしまったLuのお宅。
家族一人ひとりとゆっくり時間を過ごせたおかげか、最後にはまさに家族の一員のような感じがして、かけがいのない思い出ができた。ぐりぐり頭のやんちゃなJoshyも、最初はシャイだったのに、日毎に私たちに慣れてきて、最後には離れるのが本当に辛かった~。

またまたカウチサーフィンに大感謝!


● 写真:ケープタウン

2011年1月4日火曜日

United Kingdom: Cotswolds: イギリスの田舎でクリスマス

[イギリス ~コッツウォルズ~]

Cotswolds(Upper Slaughter)の町並み
London(ロンドン)から列車で南に1時間半、大雪の中向かったのは、東京の友達夫妻、Jason(ジェーソン)とアキコのご両親、Tom(トム)とBetty(ベティー)のおうち。
数年前のジェーソン達の結婚式で、私たちが通訳としてお手伝いさせて貰ったときにお会いして以来の再会。その時何回かしかお会いしていなかったけど、いつでもおいでとおっしゃってくれていた。
クリスマスという日本の正月と同じくらい大イベントなのに、ちょっと移動続きでお疲れ気味だった私たちは、インドビザ待ちの関係もあり、ご好意に甘えさせて貰うことにした。



キッチンから見えるつららがきれい
Cotswolds(コッツウォルズ)は、歴史ある石造りの素敵な家が残る地方で、絵本に出て来るような村がたくさんある。
トムとベティーの家も例外ではなく、築200年の石造りの家。それに加え、インテリアデザイナーのベティーのセンスも随所に光っていて、本当に素敵。
二人がアンティーク好きということもあり、シンプルながらも歴史を感じる物たちがこの古い家を飾っていて…。私もアンティーク大好きなので(アンティークの英製カトラリーのホルマークと言われる刻印の見方も教えてもらっちゃった)、ひとつひとつのストーリーを聞きながら、夢心地。
20年近くもかけて自分たちで改築し、こんなに素晴らしい家にしたとか。夢だわぁ。私もいつか日本の古民家を買って自分たちで改築したいなあ。

至る所にアンティークが
この地方は歴史が古く、物件もいい値段がする為、イギリスのちょっぴりお高くとまってる人たちが多いんだけど(勿論優しく気さくな人も多い)、アメリカ人にしてこの地方に住む二人はとっても気さくで、本当に居心地が良かった。でも、居心地良すぎて、なんと当初5日程度の予定が、2週間もお世話になってしまった。

私たちが使わせて頂いた部屋はホテルみたい!寝心地のいいしっかりしたマットレスにふかふかの羽根布団、そしてでっかいふわふわのタオルとバスローブ。アンティークのテーブルや本に囲まれ、気分は隠れ家的五つ星ホテルに泊まるセレブ♪


かわいくて実用的なベティの台所
日が4時半に暮れるので、日を浴びる時間は短かったけど、散歩に行ったり、でっかい雪だるまを作ったりして外をエンジョイする一方、毎日一番時間をすごしたのが、キッチン。ベティーデザインのまさに私の理想のキッチン(大きいカウンター、大きいオーブン、雪に埋もれた裏庭を見渡す素敵なデコレーション!)で、ベティがケーキやクッキーを休み無く焼いたり、おいしい手料理を作るのを見ながら、焼きたてのお菓子を味見し、キッチンでおしゃべりするのが本当に楽しかった。夜は、今度は暖炉の火で温まりながら、テレビを観たりトムとまたまた夜更けまで話し込んだり。「実家に帰ってきた」という感じがする、位とってもリラックスさせてもらった。


そしてこの時期は、クリスマスということもあり、クリスマスイベントが盛りだくさん!



クラッカーをならしてディナー開始!
キャロリング(クリスマスソングを歌って家から家へと回る)のは、残念ながら大雪の関係でキャンセルになっちゃったけど、これまた素敵なご近所さんのおうちに村中の人が集まり、ワインとフィンガーフードに舌鼓を打ちながら、歌って、おしゃべりに花を咲かせ…。久しぶりにちょっとしたリッチライフがエンジョイできた。

クリスマス当日は、もともとトムとベティーが前からお呼ばれしていた3人のかわいいお子ちゃまがいるドッドリッジ家に。私達も、急にクリスマスもコッツウォルズに滞在する事を決めたにも関わらず、快くご招待頂いたので、初めてのイギリスの伝統的クリスマスに参加できることになった。
アメリカもそうだけど、イギリスもクリスマスディナー(「ディナー」という名前だけど、ここではご馳走という意味)も、ちょっと遅めのランチの時間に家族が集まってご馳走を食べる。

この日もお昼過ぎに4人でベティーのホームメイドのケーキやクッキー、クランベリーソースなどを両手いっぱいに持って、雪の上を滑らないように気をつけながら300mほど歩いてドッドリッジ家に到着。既に親戚が15人ほど集まっていて、子供たちも大はしゃぎ。みんなとっても優しくて明るくて、全く会った事がない家族に囲まれながらもすぐに打ち解けることができた。私はおじいちゃんおばあちゃんウケが良いので、お年寄りに囲まれて楽しい時間をすごし、Joeは子供ウケがいいので子供たちとゲームしたりこそこそ話して大人気!


伝統的なクリスマスディナー
イギリスの伝統クリスマスディナーは、アメリカの感謝祭と似ていて、七面鳥、クランベリーソース、野菜類にケーキとパイ…。とっても温かい、冬にぴったりの料理のオンパレード。
でも、いくつか初めて試したイギリス特有のクリスマスメニューも。
まずは、ブレッドソース。所謂パンのソースなんだけど、たまねぎと塩コショウで味付けしたパンをミルクで煮た、シンプルな七面鳥用のもったりしたソース。おいしいけど、私にはちょっと味が薄いかな?
そして、もう一つはクリスマス・プディング。イギリスでは「プディング」というとデザートの事を指す位(私たちがご飯というと米じゃなく食事を指すのと一緒?)、とにかくプリン系(日本のプリンとは違うけど)デザートが多い。クリスマス・プディングは、もったりしたフルーツパウンドケーキのようなもので、それにブランデー・バターというこれまた伝統的なソースをかけて食べる。とにかくお腹に重~い。けど、ドライフルーツとブランデー、そしてバターの香りがうまくミックスされて大人の味。これは、私は好き!重くて五口くらいしか食べられないけど。

子供たちもウキウキの日
クリスマスの次の日もお呼ばれ。
こちらは、別の近くの村に住むご一家。私達もまたまたお邪魔させていただけることになり、うきうき。
こちらも子供が3人。招待してくれたのは、この3人兄弟を話すのがかわいそうと3人みんな一緒に養子にしたご夫婦で、とってもスイート。多分ターキー料理が続くのを考慮してか、こちらではサーモンがメイン。これもまた美味!小さなパーティーだったけど、アットホームで落ち着けるパーティーでこちらでも楽しい時間を過ごさせてもらった。


そして、またまた次の日。
イギリスでは、クリスマスの次の日は、ボクシング・デー。別にボクシングをするというわけでなく、歴史的にクリスマスギフトの箱(box)に関する理由がある日。いろいろな説があるけど、その内ひとつは貧しい人たちの為に寄付を募った箱を開ける日であったとか。他にも、クリスマスも働かなきゃいけなかった使用人が26日に実家に帰る時にボーナスやプレゼントとして箱を持たせたからとも。

our rosemary turkey!
Joeと私は、毎年11月末に友達を呼んで本格的な感謝祭料理に腕を振るうんだけど、その時の料理をジェーソンと明子がべた褒めしてくれ、その噂をトムとベティーがきいたらしく、それならお世話になるお返しに私たちがご馳走を作ろうと、このボクシングデーのディナーを任せてもらうことにした。

一晩前から七面鳥を仕込み、クランベリー・スタッフィング(パン、セロリ、玉ねぎなどを炒め、七面鳥に詰め、焼いているときに出る肉汁を吸わせてジューシーなおかずにする)、コーンブレッドを担当。野菜はベティーとトムが作ってくれた。
今年はこのメニューは作らないと思ってたんだけど、思わぬところで毎年のこの伝統を続けることができてよかった。私たちの毎年使ってきたこれらのレシピは伝統的というよりは、ちょっとモダンなんだけど、全てが大ヒットで、お呼びしたご近所さんも含めみんな喜んでくれて嬉しかった。みんなの笑顔が何よりもの報酬だね。

Merry Christmas!

こうして、毎日毎日かなりの量を食べ続け、すっかりぶくぶくになっちゃった。
でも、他にもイベントがいくつか。

あべちゃん一家と再会
まず、あべちゃんとの再会。あべちゃんはジャカルタ日本人学校時代からの親友で、今は、なんと偶然にも別の村だけど、コッツウォルズにご主人とお子ちゃまと住んでいる。足の無い不便な私たちの所まで、雪の中わざわざお子ちゃま二人連れてご主人と会いに来てくれた。
二人の子供たちとは私も初対面だったので、会えて良かった。やっぱり何年も離れてると話が尽きない!時間はあっという間に流れ、日暮れの時間が早いのもあり、あっという間に再会がお別れに。今度はもっと時間があるときに会いたいな。でも、会えただけでも幸せ!


そして、もうひとつのイベント。
あまりにも雪が多かったので、巨大雪だるまを作ることにした。そしてついでにストップ・モーションビデオも。計5時間ほど、ほぼノンストップで雪の中を駆け回り、2mほどの雪だるまが完成!アメリカは雪だるまは3段、日本は2段。日本バージョンのほうがかわいいんだけどなー。
傑作
3段のほうがサイズが大きいので3段にした。久々に本気で雪だるま作って、いい汗をかき、ちょっとクリスマスディナーのカロリーを消費し、達成感に満たされ、素晴らしい一日がすごせた。…と思いきや、これが仇となり、次の日二人そろって高熱が。インフルエンザだろうなあ。
それから4、5日寝たきりになり、トムとベティーには迷惑かけてしまった…。もう若くないわね、私たち。



インフルエンザ中
そんなこんなで、あっという間に年も明け(まだ少し熱があったので、年越しはテレビを観てたんだけど一足先に年越しを迎えた日本のNHKが何故か日本語&吹き替えで放映されていて、毎年観てるゆく年くる年が観れてちょっとホームシックになった)、とうとうコッツウォルズを去る日が。
本当に楽しかった。おいしかった。リラックスできた。もっと居たかった!

後ろを振り返り、振り返り、列車に乗ってロンドンに戻った。
hallmark勉強中
Cotswoldsの夕暮れ
ベティのクッキーは最高
Joe's hair salon
にらめっこ
村はずれの景色
焼けてるかな?
Happy Betty!
こうして、第3弾陸路移動が幕を閉じ、次の短い第4弾陸路移動が幕を開ける…。
いよいよ一路、真夏のケープタウンへ!!!


● 写真:コッツウォルズ

2011年1月1日土曜日

2011年 明けましておめでとうございます

2011年 新年明けましておめでとうございます!


 



毎年の大晦日で「今年もあっという間だったね」といいながら「うーん、一体今年何したんだっけ?」と悩むのにちょっと嫌気が差し、世界一周することにした私たち。

仕事をやめてちょうど1年、2010年2月に旦那と世界一周バックパッキングの旅に出て早10ヶ月が経過しました。
お陰で2010年は「あっという間だった~!」なんてことは全くなく、全ての瞬間をフルにエンジョイしてきた、全力疾走の一年でした。ふぅ。
そして最後の最後に疲れがたまったのか、二人で仲良くインフルエンザにかかっちゃいました。(上の動画作るのに雪の中何時間も動いていたのがいけないんだと思うけど…)はは。
幸い、家族ぐるみの付き合いをさせていただいてる東京の友達のご両親がイギリスの素敵な田舎町Cotswolds(コッツウォルズ)に住んでいて、クリスマスから新年まで、病気の看病までしっかりお世話になっちゃいました。本当にありがたいです。


思えば、世界の色々な所を見る事が当初大きな旅の目的だったけど、時が経ち、私たちの旅人経験値が上がる度に、人との出会いにもっともっと意味があることを実感してきています。

2010年は、世界中で色々な人に出会い、その新しい出会いで人生観がガラッと変わったのも大きな発見でしたが、今まで以上に、家族と古くからの友達に支えられた一年でした。
特に、家から離れていると、さりげない日本の日常をメールで知らせてくれたり、ブログを読んでくれてるとわざわざメールをくれたり親を通じて応援してくれたり、ブログやウェブアルバムにコメントしてくれたり、Facebookのステータスアップデートにコメントをくれたり、小さなことでも本当に嬉しいし、励ましになりました。本当にありがとうございます!

ブログがまだ追いついていないけど、ゆっくり更新を続けていきます。
一方、旅はまだまだ続きますよ~! イギリスの次は、南アフリカ、そしてそのあとインドへ飛び、いよいよアジア圏に突入。(おいしいご飯が待ち遠しい)
日本への帰国はまだ未定だけど、多分春になるかな?!お財布と体力と相談です。

みなさんの2010年も素晴らしい一年だったことを、そして今年2011年も更にピカピカ輝いた一年になる事を、遠い空から祈っています!
今後とも、Horizon Huntersをよろしくお願いします!