2010年5月29日土曜日

Peru: Lima: 40時間のバスの旅

[ペルー ~リマ~]

とうとう来た。超長時間バスの旅をする時が。

南米を旅していると、そのバス網の良さ、バスのクオリティの高さ、他の安い交通手段(=電車など)が無い事、などから、どうしてもバスの旅が多くなる。
実際、今まで4ヶ月間、Santiago(サンティアゴ)からQuito(キト)に来るまで、サンティアゴ~プンタ・アレーナス間とサンタ・クルース~スクレ間の2度しか飛行機に乗っていない。あとは、ぜーんぶバス。


ところで、パタゴニアはでかい!チリとアルゼンチンの南一帯を指すこの言葉、パタゴニア。
大自然の宝庫で、見所が一所に固まっているわけでは無いので、結構「これから40時間のバス旅だよ~」とか「うげー、60時間バス乗りっぱなしだよー」とか文句を言っている旅人に多くいた。
そんな中、私達は最高でもイグアスの滝~サンパウロの26時間の旅(他は大体10~20時間)しかした事が無く、南米も終わりに近づいた今、長いバス旅は無いだろうと思っていた。


しかーし!
ついにそのときが来ちゃったんですねぇ。それも、一つ前のブログに書いた緊急会議のせいとも言えよう。
旅路を急ぐと言うことは、止まってゆっくりする時間が減るということ。要するに、小さな「面白そう」な町に止まらずに、「行っておかなきゃ」という町や、バスの乗り継ぎに便利な大都市を跨いでいく、大きな一歩を積み重ねることになる。

今回は、PeruのLima(リマ)~EcuadorのQuito(キト)間。
本当は、ペルーの北の地域で、ジャングルに行ったり、ビーチでゆっくりしたり、他のインカの遺跡を見に行ったりしたかったんだけど、時間短縮で一気にキトに行くことにした。


そうと決まったら、バスチケット探し。
Cuzco(クスコ)~Lima(リマ)の20時間のバス旅を終えたばかりでやっとホステルに着くや否や、バスチケットについてフロントの人に聞いてみた。あまり他の旅人から人気で無いリマでは2泊だけして、キトに向かいたかったのだ。

そしたらなんと…キトへの直行バスは一社(Ormeño =オルメーニョ)のみで、週二回しか出ていない!そして次のバスは、翌日!!

勿論、数多あるバス会社のバスで国境まで行って、エクアドルのバス会社に乗り換えることもできるんだけど、南米で一番危ないと言われるペルー~エクアドル間の国境越え。(明るい内に着けば、別に命の危険があるわけじゃないと思うけど、2国の入国・出国審査のオフィスが遠く、観光客狙いのスリとか、Taxを払えと嘘を言うタクシーとか、色々面倒くさいらしい)

こういう時は、インターナショナルバスが楽。
本当は2泊して、前日のバス旅の疲れを取ってから、次の長旅に備えるはずが、そんな余裕が無い事がわかり、ちょっとショック。でも、仕方が無いので、早速予約をした。
今は丁度観光シーズンが始まった所で、バスの予約も取り辛い状況で、最後の2席だった。ふぅ~。取れてよかった。

そうと決まったら、まだ食べてなかったペルーの名物料理、Ceviche(セビーチェ)を食べねば!
セビーチェはもともとはスペインの料理だと思うんだけど、南米のいくつかの国で食べられる、シーフードのレモン和え。その中でもペルーが一番美味しいと言われている。

疲れた体を引きずって、ローカルなレストランに。約300円のコースディナーにセビーチェが前菜として出てきた。 そこのはレモンがかなり利いてて酸っぱかったけど、レモンとコリアンダーでさっぱり美味しかった~!ペルーを出る前に食べれて良かった!

次の日は、40時間の旅を控え、ちょっと贅沢をすることにした。中華の安いランチの後、TGIフライデーでブラウニー食べちった。久々のアメリカンブラウニー♪味もリッチ、値段もリッチ。



そして、午後5時。いざ、出陣。
これが、バスを見てびっくり。
超長旅なので、今までからの経験から言って、絶対Cama(ベッド)クラス=超快適レザー&食事つき一等席だと思ってた。それでなくても、せめてSemi Cama(普通のバスの席よりちょっと広いくらいだけど、160度くらいまで快適に席を倒せる)と思っていた。

甘かった~~~!!

80米ドル(何故か米ドルで支払い)も払ったのに!長旅なのに!
今までの中で最低のバス、「普通のバス」だった。食事もなし。かろうじてトイレがついているのみ。最低といっても、別に席が破れてるとか、椅子のクッションがほぼないとかいうボリビアの市バスよりは全然良く、要するに日本の夜行バスと変わらない(きれいだし)、普通のバス。
しかも、最後の二席だったため、通路を挟んでの隣通し。だから、お互いに寄りかかって寝れるというわけでもない。
うむぅ~。
二人でかなり凹んだ。


が。
ここで強者に遭遇。イギリス人カップルで、なんと、サンティアゴから着いてそのままコロンビアのボゴタに乗っていくと言う。そう、リマ~キトはその一部でしかないのだ!!
全部で128時間だって。5泊6日。バスの中で。しかも、Camaじゃない席で。きゃ~。文句言ってる私達が恥ずかしい。

そんなこんなで、バスがいよいよ出発。
意外とこれが、クッションが良かったのか、首が痛くなったくらいで思ったより悪くなかった。

大変だったのが、食事。今までの食事なしのバス(Semi Camaとか)の旅だと、ちゃんと食事の時間になるとローカルな食事を出来る所に止まってたのに、今回のこのOrmeno、一向に止まる気配なし。
国境越えやら、他の乗客待ちで途中で町に1~2時間止まったりはするんだけど。
どうやら、この間に運転手さんやペルー人・エクアドル人の乗客は食べていたらしい。もうちょっと空気読んでたらな~。ちゃんと温かい食事にありつけたんだけどな~。残念。

結局、朝ごはんでは止まってくれたけど、それ意外は、持ってきていたクッキーやクラッカーやチョコでやりすごした。(そもそもCamaで食事が出ると思っていたので、おやつしか持って来ていなかった)。

そして、2日後の朝7時半。
無事、エクアドルのキトに到着。
なんだかよくわからない道の真ん中で降ろされたけど、無事Taxiに乗り換え、値切って4米ドル予約してあったHostel Revolutionへ。運ちゃんがとってもフレンドリーでおしゃべりしているとあっという間に到着。
久しぶりに、持っていた米ドルが使えるので、両替しなくてすんで便利!(エクアドルの公共の通貨は米ドル)
運転手さんにお礼を言って、ホステルのベルを鳴らしたのだった…。



お疲れーー!!私達!!!!

2010年5月25日火曜日

Peru: Cuzco: 緊急会議

[ペルー ~クスコ~]

マチュピチュからCuzco(クスコ)帰ってきて、2泊したら次に行く予定が、ジョーが軽い食中毒にかかってしまい、結局5泊もすることになった。これで、クスコ滞在はマチュピチュ行く前も合わせて合計8泊9日。
マチュピチュが2泊だから、この周辺だけで、1週間半も過ごしちゃった。


今までいくつかの場所で長居(5日以上)したけど、居心地の良いホステルがある所に長居する傾向にある。
クスコで滞在している「Pariwana Hostel Cusco」(似たような名前のホステルが他に3つも存在するのでややこしい)は、今まで泊まったホステルの中でも一番過ごしやすいホステルだから、余計ダラダラと長居してしまった~。

ここは、いわゆる、バックパッカーが集まる大きなホステルで、旅行初心者に好かれるようなホステルだけど、たまには冒険からお休みして、こういう家にいるようなくつろげるホステルも良い。
ここは、とにかく清潔で、しかもベッドがと~っても快適!
安いバーもあるし、TVルームもクッションがいっぱいだし、友達もいっぱいいるし(大きいホステルで、口コミも良いので、今まで他の所で会った多くの人に再会できたし、ホステルでぼーっとしている人も多いからおしゃべりして友達が増える)。

クスコは、町自体もそうだけど、周りにも世界遺産が多くて、本当はここにいる間に色々観たほうが良い。でも、入場料も高いし、無理して他の観光客がいっぱいの所を見なくてもいいかな~と。
マチュピチュ頑張ったしぃ。
最初は、いろいろと観て周らなくて罪悪感があったけど、今は開き直った!
旅の間の、休暇ってことで。そう、長旅には休暇が必要なのだ。




さて、話し変わって、そろそろNY~Madrid間で予約していたフライトの日が迫ってきた。
元々のこの便の予約は6月7日。本当は今頃は中米も終わってオハイオにいるはずだったんだけどな~。思ったより、南米の一つ一つの国にかける時間が長かったんだよな~。
お陰でまだペルーだよ。ペルー。南米。

私達のワンワールド世界一周航空券は、行き先と航空会社さえ変えなければ日程変更は無料。よって、予定よりちょっと遅れることに関しては特に心配はしていない。
でも問題は、この世界一周航空券、有効期限が1年だということ。
この制限があるから、うちらの世界一周旅行も1年の予定だった…んだけど、今のペースで行くと、ちょっと急いだとしても余裕で数年年はかかっちゃう。
まぁ、お金が続けばそれでもいいんだけど、できるだけこの高い航空券を利用したいので、インドまでは一年以内に着きたいのだ。(インドから日本まではなんとか陸路で安く行けるだろうから)


ということで、緊急会議開催。
予定の13時開催時刻は、ホステルのでっかいスクリーンで、ドイツvsイタリアのサッカーのヨーロッパチャンピオンシップ(?)が放映される事を知ったジョーが観たいというので、18時に延期。

メインスクエアのPlaza de Armasの前の、うちらのお気に入りのカフェ、Trotamundosに行き、2時間かけて、今後の予定を練った。

 元々の旅程では、まず南米から中米を陸路で通って北米のジョーの実家に行くはずだった。
でも、今まで中米から南下してきた旅人に聞くと、中米は危ない国がいくつかあり、また、バス網が南米ほど発達していなくて、移動に時間がかかってしまうとの事。
それでなくても、中米の細かい国+メキシコを一つ一つゆっくり見て周るとそれだけで後3ヶ月はほしくなっちゃう。

そこで、木も見て森も見る作戦。
今後のもう一つの大きい陸路移動、カイロ~ロンドン間を考慮することにした。
結局、中米は北米から近いので、将来時間がある時にゆっくり周れるだろうという結論に達し、今回の旅では、東ヨーロッパ周遊にの方に時間をかけようという事になった。
こうして、泣く泣くメキシコを含む中米をすっ飛ばし、まずはペルーからパナマに向かい、そこからジョーの故郷、オハイオに飛行機で飛ぶことにした。

旅程の大変更!!

そのまま、その後の日程も組みなおして、すぐJALの東京サポートセンターに電話し、必要な区間の日時を変更。
こうして無事、NY~スペイン間の飛行機も7月下旬に変更し、会議は幕を降ろしたのだった…。

う~ん、このまま行くと、お金、インドに滞在する期間、そしてインドからどうやって日本に向かうかによるけど、全体で1年半~2年の旅行になりそうな気がしてきた。

どうなることやら…乞う、ご期待!

2010年5月21日金曜日

Peru: Aguas Calientes & Machu Picchu 3: 天空の町 マチュピチュ 

 [ペルー ~マチュピチュ 3~]

こんなに暑いとは思わなかった為、パジャマは長袖を持ってきてしまっていた。
それじゃあ暑すぎて寝れない為、シャワーを浴びた後、仕方なく下着だけ替えて、上下とも前日来たまんまの格好で寝ていた。

午前4時半。ジョーのiTouchの目覚ましで目が覚める。
まだ外は真っ暗。
ここまで来たのにも関わらず、やっぱり早起きとWayna Picchu(ワイナピチュ)の1200段の階段にちょっと億劫な私。でも、無理やり体をベッドから引っ剥がし、出発の準備を始めた。
と言っても、着替えは無いため、そのまま起きて顔洗って歯を磨く位だったけど~。

午前5時。
ホステルを出発し、バス乗り場へ。ちらほらと観光客が同じようにバス停に急いでいるのが見えるけど、始発は5時半なので余裕の表情で特に急ぎもせず…。バス停に到着して、思わず叫んじゃったよ。とうに、200人は並んでる!!!!うが~~~~ぁぁぁ!!
「ワイナピチュ、無理かもねぇ。またいつか来なきゃねぇ」なんて、3人で諦めモード。
うちらが着いた後も、列は長くなるばかり。

そして、午前5時半。
バスがずらりと並び、並んでいた人がどんどんとバスに消えて行き、30人の満員に達したバスはどんどんと闇に消えていった。
うちらは6番目か7番目のバスだったんじゃないかなぁ。

30分ほどグネグネと山道を登り、ついにマチュピチュ入り口到着!
既にバスで到着していた観光客だけでなく、朝3時に起きて徒歩で登ってきた人たちで入り口は人でごった返していた。う~ん、やっぱこりゃ無理だ!
それでも、一人でも人を抜いて列に並ぼうと早足で入り口前の列に並ぶ。
早くもガイド希望の人たちが値段交渉のため寄ってきて、「それどころじゃないんだよ~」と思いながら前の人に着いていくと、まだ入り口に着く前に職員らしきおじちゃんが「Wayna Picchu? A 10? (ワイナピチュ?10時?)」と言ってきた。
「Si, si (はい、はい)」と勢い良く肯くと、ホッチキスで小さいチケットを入場券に付け、赤ペンでささっと「389」と書いて去っていった。
「え?え?何今の?」と3人で不思議がっている内に、どんどん押されて入り口へ。
知らない内にマチュピチュに入ってた!

で、結局ワイナピチュのチケットはどうなったのか?
そう、あのおじちゃんがホッチキスで止めてくれたのがチケットだった!よく見ると、私は389、ジョーは390、そしてFionaが391!400人しか入れないので、ぎりぎりセーーーーフ!
因みに、チケットが取れなくてもチケットをもらった人全員がワイナピチュに入るとは限らない為、時間になったらワイナピチュの入り口に行って待っていれば入れる可能性もある。

丁度、朝日の時間になり、遺跡が見える場所に急ぐ…。
木々の中を通る小道を行くといきなり目の前が開け、あのマチュピチュが目の前に広がった。
ジョーは早くも感無量の様子。
私も、やっと「ああ、ここまできた!」と感動。

マチュピチュは熱帯雨林にあるため、乾季と雨季しかない。
今は丁度乾季に入ったばかり。とは言え、早朝は霧に包まれることが多いらしい。
でも、この日は雲はあるものの、青い空が広がりとっても爽快!ラッキー♪

観光客に揉まれながら、写真を数枚撮った所で、Fionaが「私、やっぱりガイドさん探す」と言い出したので、私達も一緒に探すことにした。
この大きな遺跡の秘めた歴史を知らずして歩いてもあまりありがたみが伝わってこないだろうと思ったからだけど、実際他のツアーのガイドさんにお願いしてチップだけで参加させて貰って色々聞きながら2時間見て回ったら、本当にガイドさんがいてくれてよかったと思った。
情報があるだけで、遺跡の面白さが断然違う!!(当たり前?!)
因みに、ガイドさんも天気がいいのはラッキーだと言っていた。

ガイドさんから教えてもらったことの一部を紹介。
インカの人は石細工が得意で、ヘマタイトで作ったハンマーだけで硬い花崗岩を直線でできたレンガのような形に加工したり、パズルのように他の石と多角形でかみ合うようにしたりすることができた。
でも、全てを直線でつくったかというとそうでもなく、本当に大切な太陽の神殿などは丁寧に丁寧に磨き上げて石と石がぴったりと噛みあった壁を作るんだけど、大したこと無い建物は、ちょっとガタガタだったり。
マチュピチュの本当の名は未だにわかってないこと、マチュピチュの住人がどうして滅びてしまったかわかっていないこと、何故この場所に天空都市を作ったか(特別な4つの山の丁度真ん中)など、ただ歩いて見ただけではわからないことを色々と学べた。

10時にはツアーが終わり、いよいよWayna picchuの入場時間になった。
Wayna Picchuへの入場は2部制で、それぞれ200人ずつ7時入場組と10時入場組に別れていて(最初にワイナピチュ入場チケットを貰う時にどちらか選ぶ)、私達は比較的天気がよいとされている10時入場組にしていた。

写真で見るとわかるとおり、マチュピチュの目の前に聳え立つワイナピチュ(中央右)はかなり急な山。
既に登った人には、急な階段がずっと続いてきついきついと言われていたから結構ビビッてたんだけど、実際登ってみると確かにきついけど、パタゴニアで訓練(?)したお陰か、意外と辛くはなかった。…登りはね。

頂上に着いてみると、「なんで、どうやってこんな急な崖の上に遺跡が?!」と思うくらいまた見事なインカ遺跡がちょこちょことある。本当に天を大切にしていたんだなぁ。

さて、そこから見るマチュピチュはまた絶景…と聞いていたんだけど、正直なところ、個人的にはマチュピチュだけだと、ちと物寂しい感じがした。マチュピチュとワイナピチュが一緒になって見えるマチュピチュ側からの風景の方が好きだな~。
あと、頂上は岩ばっかりで、しっかり立てるところが無く、またまた高所恐怖症の私はビビッてばかり。降りることしか考えてなかったのも楽しめなかった原因だったのかも。
持ってきたサンドイッチをほおばっていると、段々雲行きが怪しくなってきて、ついには雨がポツポツと。ついには結構降ってきたので、降りてマチュピチュに戻ることにした。

さあ、帰りが大変!ちょっと下を見ると、2500mも下に川が見える。
しかも階段は全て石で作ってある為滑るし、手すりもない。
優しい優しい旦那さんはそんな高所恐怖症の奥さんの手を取り、頂上からワイナピチュの麓まで、ずっと後ろ向きで降りてくださいました。あ~、この人と結婚して本当によかった!
高所恐怖症の人は、ワイナピチュを登るかちゃんと考えるべし。。。

午後1時半。
降りたところで雨もやみ、その日に電車でクスコに帰るFionaともお別れ。
うちらはそのまままだ見ていない部分の遺跡の探索をすることにした。
この時間になると、朝早くみんな来るせいか、 観光客がぐんと減る。そして、静かになったマチュピチュを堪能できるのだ。
更に、青空もすっかり雲で覆われ、辺りも段々霧に包まれてきたけど、またそれが神秘的な雰囲気をかもし出してきた。
特に入り口とは逆にある部分の遺跡は、まさに天空の城ラピュタみたいで、もう頭の中ではずっとラピュタの曲が流れていたよ。






そんなこんなで、歩きながらまた 段々畑の上の方に移動。
その頃にはまた雲が晴れ、淡い夕方の光がマチュピチュを照らしていた。う~ん、本当に美しい。
ここにこんな日常を毎日過ごしていた人々が住んでいたんだと思うと、本当に不思議。
さすがに朝っぱらから盛りだくさんだったので、ここで段々畑の芝生の上で昼寝。う~ん、贅沢!
ジョーは、まだまだ感動中で、寝るのが勿体無かったらしく、ぐーすか寝ている私の隣でスケッチをしておった。

そして、4時半。
日が暮れる前には、アグアスカリエンテに着きたかったため、マチュピチュをあとにすることにした。
名残惜しそうなジョー。また来ようね、と言いながら振り返り振り返り、 出口へ。

あ、ここで一つ忘れちゃいけなかったのが、パスポートへのハンコ。世界で数箇所、入出国新災害でパスポートにハンコを押してもらえるところがあるんだけど、 このマチュピチュもその一つ。
無事にハンコをゲットして、バス代をケチる為に徒歩で下山を開始。

これがまた結構急だし、長い。
延々と1時間半、階段を降り続けた。
これを暗闇の中早朝4時に登ってくる人が信じられん~。

無事下山し、中華料理(これまたコースで10soles(350円)!)でお祝い。
夜は、ヘトヘトに疲れていたため、ご飯の後はホステルに帰ってそのまま熟睡。
翌日、筋肉痛の足を引きずって同じ道を11時間かけて帰るのも嫌だったので、ちょっと贅沢して電車に乗って4時間でぴゅーんとクスコに帰り、私達の冒険は幕を閉じたのであった…。





最初は面倒くさいなんて言ってたけど、これは本当に苦労して行って良かったと思った。
写真ではわからない感動に溢れていたマチュピチュ。

そして、他の多数の観光客のように急いで半日ですまさず、一日たっぷり朝日から夕日まで堪能したのは、本当に良かったと思う。

何より、ジョーの夢がかなえられたのが私には嬉しかった。


ちゃんちゃん。

Peru: Aguas Calientes / Machu Picchu 2: いざ、マチュピチュの麓、アグアスカリエンテスを目指して

[ ペルー ~マチュピチュ 2~]

2010年5月17日。
朝5時半起床。
大きいバックパックのない身軽な格好で、いざ出発!
前日の夜に知り合った、カナダ人のフィオナちゃんも旅の仲間に加わった。

まずはバス停まで行き...と思ったら、タクシーの運ちゃんにバスのチケットを持っていないことがばれたため、知り合いらしいコレクティーボ乗り場に連れて行かれた。
バスの方が安いけど、サンタマリアまで6時間かかっちゃうため、どちらにしろバス停からコレクティーボに乗る予定だったのでいいんだけど。

値段交渉して、一人25solesを提示してきたお兄ちゃんに決定。

しかし、コレクティーボは相乗りタクシーの為、人数が揃うまで出発してくれない。結局あと4人集めるのに1時間かかった。まあこれも計算通りなので、問題 なし。
結局出発したのは、午前8時。

その後、グネグネ道を延々と4時間。

一般的に、何故か南アメリカのタクシーやバスの運転手さん達は飛ばすのが大好き。山道だろうが、嵐だろうが関係なし。今回も例外ではない。
車酔いに悩まされながらも、前日の寝不足を解消する為の昼寝をしたり、美しいアンデスの景色に圧倒されている間に、あっという間にSanta Mariaに到着。
予定通り、正午。

休憩する暇も無く、目の前では次の区間担当(?)のコレクティーボの運ちゃんが 「Santa Teresaまで10soles!」と勢いよく迫ってくる。うちらは、Santa Teresaのもっと先のHidroelectoricaまで行きたかったので直接行けるか交渉。15solesで快諾してくれた。(普通は Santa Teresa でまた乗り換えなんだけど、値段は変わらない。なので、Santa Mariaから直接行くよう交渉するのがよい)

またこの運転手さんも勢い良くぶっとばし、今度はガタガタグネグネ道を行くこと1時間半。
実は、1月の土砂崩れのとき、Hidroelectorica近くでも問題があって、橋が壊れてしまったのだ。
お陰で、2010年5月現在では、Hidroelectoricaまで車で直接行けない。
コレクティーボから降ろされたのは、そこから歩いて1時間も手前の河原。
勿論、このことはクスコのtourist officeで聞いていたので、無問題。
時刻は午後2時。

ここで車を降りてみてびっくり!
標高は、クスコより約500mも低く、バナナの木が見え始め、むんっとした熱帯雨林の空気が漂ってきた。
暑い!!すぐUniqloのフリースを脱ぐ羽目になってしまった。
まだ標高は2000mもあるんだけどね~。
でも、一ヵ月半ぶりの標高2000m台!
寝ている間に息ができなくて、思わずハッと息を思い切り吸い込んだときに起きる事も無い標高。
空気が肺を駆け巡っている感じ!

さて、この第3区間、トレッキング区間が山場。
噂には聞いていたけど、実際見てやっぱりビビったのが、この川を渡る「ケーブルカー」。

橋が壊れてしまった為、一時的な対処として今あるのは、川の両側に渡された一本のケーブルとそれにぶらさがる鉄のカゴ(?)。写真参照。
バランスを崩せば、川にまっさかさま!
高所恐怖症の私は、カゴに乗って対岸に着くまでは、カチコチに固まったまま身動きできなかった...。でも渡った後の達成感は大きかったぞ~。

無事川渡りが終わり、河原をHidroelectoricaを目指してトレッキング開始。
運よく天気がよかったためマチュピチュとワイナピチュの堂々とした背中を見ながら、久しぶりの蒸し暑さにうだりながらもテクテク と歩いていくと、一時間ほどで到着。
Hidroelectoricaには駅があり、勿論ここから電車に乗ることも可能だが、12USDもするのでスルーさ。

ちょっと休憩して、そのまま今度は線路に沿ってアグアス カリエンテスを目指す。
橋を渡り、バナナ畑を過ぎ、そそり立つマチュピチュ・ワイナピチュ・そしてその他の岩山の間を縫って歩くこと2時間。

途中、林の中に住む家族にアグアス  カリエンテスで安いホステルがあるのを紹介され、ダブルルームで一人15solesと聞いてそこを電話で予約してもらう。
丁度、その家族の一員のFernando(35)がこれからアグアス カリエンテスにお仕事で行くということで、ホステルまで連れて行ってもらうことに。この人が またいい人で、日本の事、ペルーの事、家族の事、マチュピチュの事など色々と楽しくおしゃべりしながら歩いていた。

と、Hidroelectricaから2時間程の所で錯覚が...。


え~?!箱根?!?!

だって本当に日本の温泉街みたいなんだもん。川もあるし。建物も旅館っぽいし。
よく見てみると(当たり前だけど)アグアス カリエンテでした~!
まぁ、考えて見れば、その名自体 Aguas Calitentes = 熱い水 = 温泉なのだ。そして、その名に劣らず、温泉もある。うちらは水着を持ってきていなかったので入らなかったけど。
Aguas Calientesはこの村のあだ名で、実は本名は「Machu Picchu Pueblo(マチュピチュ村)」。どちらにしろ、そのまんまじゃん!って突っ込みたくなる名前だけど。

村に着いた頃には日は暮れ、足も大分だるくなっていた。
でも、ホステルに着く前にやることが。これは、本当に偶然同行することになったと は言え、最後までちゃんと面倒を見てくれたFernando君に感謝!
翌朝は早いため、
1)マチュピチュへ登る為のバスチケット(11時間の旅の後に、早朝3時に起きて歩いて登る気力は勿論なし!ここは潔く金で解決!)と、
2)マチュピチュ入り 口では買えないので麓で買っておかないといけないマチュピチュの入場券を手に入れておかねばならないのだ。Fernando君に連れられ、それぞれチケット売り場に行ってゲット。これで一安心!

こうして、無事早朝6時半にホステルを出て、ホステルに6時半に到着した私達。
夜は、15soles(約500円)のペルー料理コースディナーで、3人でうちらの冒険の達成をお祝い!
さすがに疲れてその夜はぐったりで、翌朝も早いという事もあり、10時にはぐっすりと深~い眠りについたのでした。

つづく

Peru: Aguas Calientes / Machu Picchu 1: 前置き…行くの大変なんだぞ~!

[ペルー ~マチュピチュ 1~]


Machu Picchu - 言わずとも知れた、ペルーの最も有名なユネスコ世界遺産。

石細工が得意だったと言われる、16世紀に反映したインカ帝国の遺跡。

スペインの占領で他の遺跡は破壊されたり、キリスト教の影響を受けた建築物に改築されたのに関わらず、1911年にアメリカ人歴史家のHiram Bingham(ハイラム ビンガム)の手によってその名を世界に知らされるようになるまでひっそりと山奥にたたずんでいた遺跡。

スペイン人に見つからなかった為に、破壊されることはなかったが、一方で情報が書物として残されることが無く、まだまだたくさんの事が謎に包まれている遺跡。
「マチュピチュ」の名さえ、ケチュア語で「古い山」という意味であり、実際の都市の名ではないとか。


さて、そんなミステリーだらけでロマンチックな遺跡なのですが、実はわたくし、そこまで遺産に興味があるわけではなく、マチュピチュに関しては、行きつくまでにかなりの努力を要するし、観光客がかなり多い(平均一日1500人)為、 罰当りな私は「面倒くさいな~」と思っていたのだ。
でも、旦那のジョーさんは、中学時代にアンデス文化やインカ文明についてのプレゼンをして以来、ずっとマチュピチュに来ることを夢に見ていたという。
ペルーまで来ておいて、その大きな夢を壊すわけにはいかないよねぇ。
ということで、頑張ることにした。

じゃあ、なんでそんなに面倒くさいかというと、マチュピチュに行くまでにいくつか障害があるのだ。(金さえあれば簡単に行けるんだけど。)

1)麓のアグアス カリエンテスまで行くのが遠い
大体観光客はまず、インカ帝国の首都であり、また現在ユネスコに登録されている街、Cuzco(クスコ)に入る。しかし、ここからすぐマチュピチュにいけるかというとそうではなく、更に山奥でマチュピチュに麓にある、Aguas Calientes(アグアス カリエンテス)まで行かないといけない。

バックパッカー達は、大体クスコのホステルに大きい荷物を預け、3日分の荷物だけ小さくまとめてマチュピチュに向かう。

この荷物を預けたり、どのような交通手段でいくか決めたり、アグアス カリエンテスのホステルの心配をしたりがちょっとめんどいのだ。


2)高い
マチュピチュは、とにかく観光客が多い。一日1500人も毎日来るんだもん。
お陰で、全てが高い。
電車は一番安くてクスコとアグアス カリエンテの真ん中のOllyanta y Tambo(オリャンタ イ タンボ)から34USDだし、
ペットボトルの水もクスコの5倍、
マチュピチュの入場料も一人128soles(約4300円)だし、
アグアスカリエンテからマチュピチュの入り口までのバス(山のグネグネ道を30分。歩くと1時間半~2時間)は20soles(約700円)もするし。

一日宿代も入れて一人3000円が予算のうちらには本当にきつい~!


3)朝が早い
これはオプションなんだけど、マチュピチュ(「old mountain」)の目の前にあるワイナピチュ(「young mountain」)には、一日400人しか入場できない。

マチュピチュを上から見渡す為にワイナピチュに登る。(ワイナピチュの頂上にも遺跡あり!びっくり!)
これが、延々と急な階段を1000段以上(登ってるとき数えた)登らないといけない為、リッチそうなおじいちゃんおばあちゃんは最初から諦めてるみたいだけど、若いバックパッカー達はみんな「ここまで来たら行ってやる~!」という意地があるため(勿論行きたいという意志も)、競争率はかなり高い。
私は、この登りも「ちょっとめんどくさくない~?」と秘かに思ってたんだけどね。ほほほ。
で、このワイナピチュの入場チケットは、無料だけど早い者勝ちの為、朝6時の開場に合わせて、朝3時に起きて歩いて登るバックパッカーもいれば、5時半の始発バスに4時半から並ぶ人もいる。

そう、朝が早いのだ…。早起き必須なのだ…。


ね?遺跡のそんなに興味が無かったら行くのが面倒くさくなるのも肯けるでしょ?


でもクスコまで来て、マチュピチュ行きたくない~なんて事も言ってられないので、腹をくくりましたよ。
こうなったら、情報収集。
基本的に、ホステルに泊まってるバックパッカー達は、マチュピチュにこれから行く人か、行って来た人のどちらか。なので、行って来た人に聞き込みを開始。

一番の問題はどうやって辿り着くか。

詳しくは、サイトの情報ページにまとめる予定だけど、簡単に言うと、大体3つに別れる。
1)ツアーに参加して行く
2)バスと電車で行く
3)ローカルバス(or コレクティーボ)と徒歩で行く

1)が一番簡単で、一番ポピュラー。でもうちらには、予算オーバー。
数泊かけてInca Trailといわれているインカの道を行くツアー(ガイドがいないと歩くことが禁止されている為高いし、ハイシーズンは数ヶ月前から予約が必要だったりする)や、その裏の道といわれている並行する道を行くツアー、またはラフティング・トレッキング・バイキングを混ぜたスポーツ系ツアーもある。一人数万円。

勿論、ツアー会社を通してバスと電車を手配してもらうこともできる。一人180USD~200USD。
特に事前に予約していなくても、クスコの町を歩いていれば、ツアー会社の客寄せが数歩に一人は話しかけてくる。

2)は、自分で手配すればツアー会社に手配してもらうより安い。
インターネットで簡単に電車のチケットは買えるし。
このオプションだと(2010年1月の土砂崩れで、まだ電車だけで直接行くことができない。2010年7月から再開予定?!)、4時間で着くから楽チンは楽チン。

だけど、一人片道最低5000円近くかかってしまって、やっぱり高いのだ。


そして、3)。
これは、今秘かにバックパッカーに人気が出てきているルート。
勿論、それは安いから!
3区間に分けて移動。
・Cuzco~Santa Maria: コレクティーボ(相乗りタクシー)で4時間、一人25soles(約800円)
・Santa Maria~Hidroelectrica(イドロ エレクトリカ = 水力発電所):コレクティーボで1時間半、一人15soles(約500円)。途中Santa Teresaを経由
・Hidroelectrica~Aguas Calientes: 徒歩

なんと、約1300円で行ける!難点は、11時間かかること。
でも、この選択肢、話を聞けば結構な冒険らしいので楽しそう。ということで、3)に決定。

こうして、マチュピチュへの旅が始まるのであった…。


つづく

2010年5月14日金曜日

Bolivia: Lake Titicaca (Copacabana & Isla del Sol): インカの風

[ボリビア ~チチカカ湖~]

La Paz (ラパス)からわずかバスで4時間、チチカカ湖に突き出ている半島にあるCopacabana(コパカバーナ)についた。
コパカバーナと言えば、大体みんなブラジルのリオにある、コパカバーナ・ビーチを思い浮かべるんだけど、実はもともとはここ、ボリビア側チチカカ湖畔の同名の小さな町の方が元になっている。
名前はアイマラ語で「宝石の展望台、湖の眺め」を意味する'kota kahuana'よりとられているそう。

チチカカ湖は、標高3800mにあってボリビアとペルーにまたがり、インカ文明の発祥の地として知られているIsla del Sol(太陽の島)がある。
コパカバーナは、ボリビア側チチカカ湖の観光の中心地になっていて、とっても白人が多い。
のわりには、安い宿の相場は25ボリビアーノ(約350円)で、ATMも無く、クレジットカードも使えるところが少なく、リッチな観光客と言うよりヒッピーな観光客が多い。
私達は、宿が多いと言うのは聞いてたので、着いてから決めようと、バスから降りて1時間ほどフラフラ歩いていた。25ボリビアーノが安宿の相場と聞いていると、35ボリビアーノ(約500円)が高く感じる!結局、「2晩だけだから」と、あんまりきれいじゃないけど、メインストリートにある、まぁ我慢できる程度のHostel Andinoのダブル部屋(一人20ボリビアーノ(約270円))にした。

さて次は、Isla del Sol(太陽の島)へのボートのチケットと、次の目的地、ペルーのCuzco(クスコ)へのバスチケットの予約。
メインストリートに所狭しと並ぶ旅行会社の中で感じが良さそうな一つに入り、聞いてみると、クスコへは夜行バスがあるとの事。
しかもさすが観光地、Isla del Solへ行った後、クスコ行きのバスに乗れるようなスケジュールが組んである!

夜行バスは、長距離移動のときはとっても便利。まず、移動中ほとんど寝てすごせる為、あまり長く感じない。そして、宿代が浮く!
ウユニからラパスについ数日前夜行で移動したばっかりで疲れるけど、やっぱり夜行のメリットは大きい。 

という事で、ホステルを一晩キャンセルし、翌日一日Isla del Solへ行き、5時半にコパカバーナに帰ってきて、そのまま6時半の夜行に乗ってクスコに向かうことにした。
なんだか、Sucreを出てから移動ばっかり!

移動の手配を終えてほっとしたところで、勿論チチカカ湖名物のニジマス料理を堪能。
湖畔にずらっと並ぶレストランは、地元のおばちゃん達の腕比べ。
値段もメニューも全部同じ。感じの良さそうなおばちゃんの所で、私はガーリックフライをお願いした。ご飯・ポテトフライ・サラダ・新鮮なニジマスで18ボリビアーノ(約260円)!
ごちそうさま~♪

そして翌日。
思いつきで、ラパスから来たチチカカ湖だったけど、Isla del Solは、行って良かったと思った。
コパカバーナからボートで2時間ほど。(標高が寒いので、寒い!)


転々とインカ文明の遺跡が少しあるけど、「絶対行って○○を見たほうが良い!」というものは特に無い。
それでも、チチカカ湖の大きさを感じ、石細工が得意だったインカ人の作った石の道を北から南に辿って、太陽の島ののどかな風景と遺跡を堪能すると、なんだか遠い昔に滅びた文明を少しだけ肌で感じる事ができた気がした。




特に風景が見事!
海のように大きく、水が透き通ったチチカカ湖。
インカ文明を支えた、大きな大きな古い湖。
これが、もし深さが海抜0mまであると考えると、富士山を沈めると山頂まですっぽりと入るというのが信じられない!

島の北の港(ここで降ろしてくれる)から南の港(そしてここで4時間後にピックアップ)まで、インカの道をトレッキング。
海のように見えるから、つい調子に乗って速く歩いてると、標高が高いせいで、寒いし、あっという間に息が切れた。う~ん、本当に不思議な体験だった。
北から南まで、約3時間。疲れたけど、行って良かった!
2時間ほどまたボートに揺られてコパカバーナに到着。
 



預けてあったバックパックをホステルから回収して、6時半に無事バスに乗車。
15分程であっという間に、ボリビア-ペルー国境に到 着。





今まででここが一番国境越えが楽だったな~。ボリビア出国手続き、ペルー入国手続き、それぞれ3分程。びっくり!
今回はジョーも私も特別なビザ手続きが必要ないため、お金がかからず、しかも楽~。あっという間に、1ヶ月お世話になったボリビアを出国、5カ国目ペルーに入国!

それからバスに乗ること11時間、また寒くてぶるぶる震えながらの夜行バスの旅だったけど、無事5時半の真っ暗な内にクスコに到着した。

今回はホステルを予約してあったので、タクシーでそのままホステルへ。
移動続きでくったくた!
でも残念ながら1時まではチェックインできないので、私達は、夜が明け朝食を摂ると、そのままクスコの町へ繰り出していったのだった...。