2010年4月27日火曜日

Bolivia: Sucre, Chataquila & Chaunaca: 無料ツアーは大冒険?! 2

[ボリビア ~スクレ、チャタキラ、チャウナカ~]

さて、今日はまたまた無料ツアーのお話。

Roxannaが企画した、2回目のホステルの無料ツアーは、「スペイン占領時代前のインカの道をトレッキング!」。
ということで、今回は Jalq'a民族のふるさと、 Chataquila(チャタキラ)村, Chaunaca(チャウナカ)村周辺を訪れることになりました~。Sucreから、トレッキング開始ポイントまで2時間。
トレッキング自体も全部で3時間ぐらいという短い、楽なツアーになるはずだったのだが…。


今回は、出発前から既に「…ん?」と思わせる事が何点かあった。

 ① ガイドが、若い英語を話さない(スペイン語だけ)、Juan Pablo(フアンパブロ)

私達は、Pabloとは顔を合わせる度に話したり、コカの葉の体験をさせてもらったり、サッカーの試合に連れて行って貰ったりと、普段から仲良くしてたので、英語を話さない事に不満はあまりなかったんだけど、この子は若くてちょっとおっちょこちょいな所があるので、この長い旅のガイドをいきなりやって大丈夫なのか…という不安はあった。

② ツアーの説明がちょっとテキトーすぎ?

一日前に、たまたまその場に適当に居合わせた参加者に、簡単に何を見れるかの説明し、「明日、8時出発ね。水と一応食べ物だけ持参して」とスペイン語でサラサラサラ~っと言われただけ。
これが後でちょっと問題に。

③ タクシー 乗りすぎ

出発当日朝。8時に準備を済ませ、タクシーが来たと言われたので乗りに行くと…。ウイングロードみたいなやつ一台しかないじゃん!!
その日の参加者は、うちら夫婦、そしてうちらより体の大きいイギリス人の4人。プラス 運転手。プラス ガイドのPablo。計8名。
どうやって乗るんじゃい!って思ってたら、サッと後方のドアを開けてくれました。そういうことか…。
という事で、運転手さんと体が一番大きい他の客が一番前、後部座席に残り3人のイギリス人の客、そして体の比較的小さいうちら夫婦とガイドのPabloの3人が本来座席ではない荷物積むところに座り、明らかに重量オーバーのタクシーが出発をしたのだった。

Sucreを出るともう道は舗装されていない。一番後ろにきゅうきゅうに詰め込まれてるうちら3人(2人ならまだスペースがあってわかるんだけどなぁ)は、ガタガタ道でお尻がいた~い!まぁ、これも冒険か?! 
でも、外のすっばらしい風景を見てるとそんなこともどうでもよくなってきた。
カラフルな層が重なり合って、本当に「神様が絵を書いたような」とよくここら辺の地域が形容されているように、乾燥して土ぼこりの舞う中に広がる神秘的な光景にため息がでるばかり。

そして2時間も行くと、古い教会が。ここは、スペイン人に対抗し革命を起こしたけど最終的に殺されてしまった原住民の英雄を祭る教会で、今でも年に一回は人が集まり、お祭りをするらしい。
Pablo、よく知ってるな。さすが、ツアリズムを勉強しただけある!見直したよ!

また暫く車に乗って行くこと1時間(今回はイギリス人の人たちが交代してくれたので、心地良い座席に座れた)、急に運転手さんが「道路の状況が悪いからもう行けない。どうしても行くならもっとお金出してもらわないと。」と。
うむぅ。
確かに、それまで舗装されていない道路を、大の大人を8人も乗せ、山を登り、谷を下り、水の中をザブザブと進み、さすがにこの古い二駆は頑張っていた。でも標高3000mに近い所でそんなことをしていたため、既にブレーキがおかしくなってきていたらしい。

仕方ないので、Pabloは取敢えず川まで引き返すように指示。そして、何故かその川から上の教会まで歩くという、全然ツアーには含まれていない、地獄のトレッキングが始まるのだった…。

川で下ろされ、どうやって渡ろうか迷ってたら、結局浅いところを見つけて裸足で渡るしかなかった。水はあんまり綺麗ではなかったから、きっと生活用水が流れてるんだろうな~とか思ったけど、他に選択肢はないので仕方ない。でもギラギラと照りつける太陽にうんざりしてたので、氷のようにつめたい水は気持ちよかった。

さて、そこからが地獄。
イギリス人の子達は、昨日の説明をあまり聞いていなかったらしく、ほとんど水も持ってきていず、しかも食べ物に至っては一切持参していなかった。1時間もほとんど車も通らない道を、オゾン層に守られていない直接日光の下、乾燥地帯を歩いていると、水も尽きてしまった。
運よく、一つだけ道端に家があり、そこで2Lのミネラルウォーターを6ボリビアーノで売ってくれた。
ここで、Pablo曰く 「他に必要なものある?ここから一時間位歩くけど、もう物を買える場所はないよ」と。 まあ一時間なら、それぞれ水一本あれば大丈夫だろうと歩き出した。

しかし、ずっと続くなだらかなのぼり道を歩けど歩けど、全くゴールが見えてこない。
結局、山越えをするんだということが、ぼんやりとわかってきた。
水は、すぐぬるくなり、チョコレートはチョコレートソースと化し、私の脳みそもドロドロ…。
景色は、他に見たことも無いくらいすばらしかったのに、2時間も歩くとそんなことどうでもよくなってきて、「後どれくらいなんだろう。。。」とばかり考えていた。
他の皆は私よりも若いし、運動してそうだったから、私よりかなり前を歩いていたけど、それでもみんな止まりながら歩き続けた。



炎天下の地獄の遠足。
標高が高いせいで息が思うようにできず、声を出す気力も、ジョーが撮る写真に向かって笑う気力も失せ、「Pabloのうそつきうそつきうそつき!!!!!」と、歩きながらおぼろげにブチ切れる事しかできない。
「あと、少し、あと3つ角を曲がればつくよ」とPablo。




しかし、2つ角を曲がっても先は見えない。山しかない。
さすがに、「大丈夫?ヒサコ、がんばれ~あははは」というパブロをほぼ無視する状態までになった頃、彼も事態を察知したのだろう。
「…ヒサコ、次に車が通ったら、ヒッチハイクさせてもらおう。」

丁度、ラッキーなことに間もなく売り物のジョウロを積んだトラックが一台通過。
パブロが交渉してくれ、3人ジョウロの脇に乗せてもらった。それから次々と残りの4人もピックアップ。結局そこからトラックで15分も行ったところで、やっと教会に到着した。
「おーい、全部で一時間どころか、さっきトラックに乗ったところから1時間半はかかる距離じゃん!」と突っ込みたくなったが、とりあえず我慢。
ヒッチハイクできたので、またこれも良い冒険の思い出とすることにした。

木陰でランチの時間。うちらは持ってきたバナナとパンをかじってると、イギリス人の子達は何も食べていない。そこで、食べ物を持ってきて無いんだと知らされた。かわいそうに。。。
ということで、うちらが持ってきていたパンとクッキーと果物をわけ、みんなで少しお腹を膨らました。
そして、万能薬のコカの葉を少し…。

さて、次は、Pre-hispanic Inca Trail -- そう、今回のツアーの目玉、スペイン占領前のインカの道のトレッキング。
 
パブロは、嬉しそうに「さ、行くぞ!」と行ったものの、うちらはそれまで「もしかしたらさっきの辛いのがインカの道だったのかも」と思っていた為、これから目玉が始まるんだと聞いて、「じゃ~さっきのはなんだったんだ?!」とプチ怒り。 (それ位、喉が渇いて、頭が痛くて、腹ペコだったのさ)
まぁ、怒っていても仕方が無いので、「歩くのは30分ぐらいだよ」というパブロの言葉を半信半疑でインカの道まで行った。
ジョーによると、インカの人たちは、石細工に優れていたらしく、道を作るときは石畳にし、早く歩けるようにしたんだとか。今回行った道も、ちゃんと「歩道」らしくなっていて、すっかり感心してしまった。
そしてまた、引き続き景色が素晴らしい!今回は、歩道で土埃でなく石の上を歩いていた為、なんだか気分は楽だった。
しかし、本来の道全体を行くと4km。本来のツアーはこの4kmだけを歩くはずだったのだけど、既にヘトヘトだった私達は、20分程歩いて引き返すことにした。
ちょっと写真を撮って、歴史的な道を歩いて、今回は少し満足。本当はもうちょっと心に余裕を持って楽しみたかったけどね。

また教会に到着。今度は、「インカ時代の壁画も歩けど見に行く?」とパブロが聞いてきた。
うーん。もう私は無理。でも行きたい人もいる。
ここで暫しミーティング。
結局、「行って帰ってくるのに、多分1時間だよ」というパブロの言葉をほぼ信用せず、本当に体力があって行きたい人だけが行くことにした。6人の内、3人が教会に残り、3人が行くことになった。
私は残り組、ジョーは行く組。

やっぱり一時間たっても帰ってこなかった。
私達は、教会の前で地面に寝っ転がって昼寝をしたり、近くのユーカリの木でユーカリを採取して石でつぶして匂いを嗅いだり、のんびり過ごした。「どーせ多分2時間は帰ってこないよね」と言いながら。

そして2時間半経過。
3人がやっと到着。みんな顔は真っ赤で疲れきっている。
「どうだった?大丈夫?」と聞くと、なんと、壁画までいけなかったという衝撃のニュースを聞かされた。
結局1時間地点に行っても、パブロは「後30分」と言い続け、もし行っていたらうちらを3時間半ぐらい待たせることになる為、戻ってきたらしい。頑張ったのに。かわいそうに。
でも三人とも、もっと素晴らしい景色の所があったらしく、顔は晴れ晴れとしていた。

午後5時半。日も暮れ始め、やっとSucreに向かう事になった。
車の中では、ほぼ会話はなし。私も疲れとちょっとばかりの怒りでパブロにちょっと愛想を尽かし、あまりしゃべらなかった。
でも、素敵な夕日と光りだした満月を見るとだんだん心も落ち着いてきて、Sucreに着いた頃には、「ま、これもいい思い出だ」と思えるようになってきた。

しかし、初めてガイドを努めたとは言え、もうちょっとうちらの立場に立って考えてくれても良かったのでは…と。このまま行くと、Roxannaがこれから企画するツアーは評判が悪くなってしまう。
これは他の4人も考えていたみたいで、Roxannaに「お帰りなさい!どうだった?」と聞かれたとき、率直な感想をみんな伝えた。
Pabloは、みんなが意外と不満が多かったのをびっくりしながら聞いていた…。

うちらの話を聞くと、みるみる内にRoxannaは、「え、ほんとに?!?!」というびっくり顔になり、最後にはうちらに「ごめんね、ごめんね、こんなはずじゃなかったのに」とお詫びをし、「Pablo! なんで予定通りの道を歩かなかったの?」などと質問攻めにし始めた。

うーん。まぁ、こうやって意見を貰えるのも最初のうち。
ガイドは知識だけじゃだめなんだよ。ご飯の時間とか、歩きなれてないぶよんぶよんの観光客の歩く時間を考えるとかも必要なんだよ。
まぁ、いいやつだし、頭のいい子なので、今回の反省を次に繋げて行ってほしい。
将来に期待したい。

うちらは、結局、最後には 「無料だし、いい思い出になったよね」と、やっぱり冒険をさせてくれたPabloに感謝したのでした。

旅で心に残るのは、やっぱり大変だった時を乗り越えた時。
うちらは、そんな「後になって笑い話になる瞬間」を、どんなにその時怒っていても、苦しくても、写真に残すのを忘れないようにしている。

2010年4月24日土曜日

Bolivia: Sucre: 料理のやる気は市場から

[ボリビア ~スクレ~]

世界一周旅行は、なんといっても金がかかる!

出発前は、「まぁ、お金はなんとかなるだろう」とか考えてるんだけど、実際に収入が無い状況で支出することしかしていないと、数週間もするとちょっとやばいかも、と思えてくる。
そして、出発前に他の旅人のブログで醤油やら油やらを持ち歩いて旅行しているのを読んで、「え~、なんでそんな重いもの持って旅してるの?しかも旅行中なのに、料理すんの?!」とか思っていたのに、金銭的、健康的、そして精神的に自炊が一番理屈にかなう事なんだなぁと、1ヶ月もすると思えてくるのだ。

ということで、今日はここスクレでの料理の話。
今までも勿論、特に都市以外にいる時は、自炊してきたのだけど、ここスクレは、必要にかられてではなく、本当に調理したいと思わせる市場 (mercado centrale)があるのだ!

最初、興味本位で覗いたときは、食材や日用品が所狭しと並んでいて、活気もあって良い雰囲気ではあったんだけど、照明が少ないので建物の中はちょっと暗いし、地元の人ばっかりだし、肉とか冷蔵されて無いし、パンもおばちゃん手で袋に入れてお客さんに渡してるし、怖気づき、一方で「う~ん、下手するとお腹壊すかなあ」と心配になった。
そんなこんなで、到着後数日はずっと外食していた。

ところが、ある日出費を計算していると、むちゃくちゃ安いはずのボリビア滞在が、入国時点で段なのアメリカ人用のビザ($130USD!)のせいで、かなり予算オーバー!!
ショックを受け、結局自炊する覚悟を決め、その足でJoeと市場に向かった。




実際、食品を買おうとちゃんと見てみると、野菜はすごく新鮮だし、果物も味見させてもらえ、しかもすごく甘い!穀類も、米、パスタ、インカの万能穀物キヌアなど、種類が豊富。
そしてとにかく、安い、安い!
例えば、この写真の食材全部で、約400円也!
こうなると、俄然料理がしたくなる~!!

この市場、かなり大きいけど、野菜売り場、果物売り場、ジャガイモ売り場(ジャガイモだけ特別扱いみたい)、鶏肉売り場、牛肉売り場、 乳製品売り場、スパイス売り場、ケーキ売り場、日用品売り場、フルーツジュース売り場、など、それぞれの物毎に売り場がわかりやすく分かれていて、2回も行けば、すっかり場所を把握できるようになっている。
今では2日に一回は行っているので、すっかりお馴染みさん(?!)のうちら。

それぞれの売り場は結構広くて、全く同じものを売っている売り手がずら~と並んでいるんだけど、不思議と同じおばちゃんの所で買うことが多くなる。
そして、良くも悪くも、白人観光客に混じっていても目立つアジア人の私は、すぐおばちゃんに顔を覚えてもらえる。

例えば、この野菜売り場のおばちゃん。
私達を見るとすぐに、にっこり笑って挨拶してくれる。そして、私のことを「mamita」(マミータ=若奥さん、みたいな感じ)で呼んでくれ、時に「mamita linda」、「mamita bonita」など、「きれいな」という形容詞までつけてくれる!(^_^)b このとってもフレンドリーなおばちゃんが私は大好きで、ついつい野菜を買うとなると、このおばちゃんの所に行ってしまう。
(因みに、実際スクレに来た人の為に…詳細の場所は、一番でかい野菜売り場の角で鶏肉売り場との境にある八百屋で、壁際ではない方の店)

最後には、必ず一つ野菜をおまけしてくれるのも、このおばちゃんが大好きな理由。今のところ、パプリカ、レモン、トマトなどをおまけでつけてもらった。

もう一つのうちらのお気に入りは、このフルーツジュース屋さん。
たまたま適当に選んだ店だったんだけど、ここのおばちゃんが何故か好き。勿論顔もばっちり覚えてもらっている。

本当は、山積みのフルーツから一つ選んでジュースにしてもらうんだけど、私はいつも2つのフルーツをミックスする。でもこのおばちゃん、値段は1つ選んだときと0.5ボリビアーノ増しにしかしないのだ。
なので、jugo de fruttas naturales con leche (フレッシュフルーツ&牛乳のミックスジュース)がたったの3ボリビアーノ(約40円)!しかも、(これは全店共通みたいだけど)いつも ガーっとミキサーで作るとき、二杯分作るみたいで、一杯目を飲み終わってグラスをおばちゃんに渡すと、二杯目を入れて返してくれる。
すごく美味しくて、お腹もふくれるので、時々スペイン語クラスの後に来てそれだけ飲んでランチにしちゃうこともある。

そんな感じで、スクレに来て5日目からは、朝以外は毎食炊事をしている。
肉だけは、ちょっと市場で買うのを躊躇われるのと(スーパーと違ってラベルが無い為、スペイン語でどの部位がほしいか説明しなきゃいけないんだけど、日本と違ってかなりのパーツに別れている為説明が難しいのだ~)、ホステルに冷凍庫がないので、結局ベジタリアン料理を作る頻度が高い。


ベジタリアン料理はあまり日本では作っていなかったので、新しい料理に挑戦中。

取敢えず、まずはベジタリアンカレーに始まり、アラビアのサラダのtabbouleh(本当はクスクスを使うんだけど、ここでは折角なので、インカの万能穀物キヌア(quinua)を使用)、イスラエルのshakshukaなどを作ってみた。

やっぱり自分達で作って食べると、好きなものが食べられるし、野菜もいっぱい摂取できるから健康維持にもいい。お財布にも優しいしでいいことだらけ!
私に料理する楽しさを思い出させてくれた新鮮な食材の宝庫のスクレの市場、ありがとう!

これからも同じような素晴らしい市場にめぐり合えます様に…♪

2010年4月23日金曜日

Bolivia: Sucre: 無料ツアーは大冒険?!

[ボリビア ~スクレ~]

Sucreに来て二日目から泊まっている、ゲストハウスのWasi Masi。一晩目のホステルとは大違い、とっても綺麗で、オーナーのRoxannaもちょっとシャイで真面目だけど、一生懸命この素敵な小ぢんまりとしたゲストハウスを管理しているいい人。勿論、値段は比べると高いけど、それでも一晩一人55ボリビアーノ(9USD)。

丁度、今週から、Roxannaの意向で、ガイド勉強中のスタッフを使ってのガイド代が無料のツアー(必要交通費、食事、チップなどは払う)を提供し始めたらしい。
早速最初のツアーは、Sucreから線路を辿って、Castillo Grolietta(グロリエッタ城)に行き、更に歩いてYotala(ヨタラ)というSucreから10km弱にある小さい古い村に行くという、半日ツアー。

お金が無いうちらは、「無料なら…」という軽い気持ちで、あまり期待せずに参加した。

ホステルに泊まってる他のオーストラリア人の女の子とニュージーランド人とスイス人の男の子の3人も参加。
朝8時に出発ということで朝ごはんをかっこみ、まず市バスで「駅」(一日に一本ぐらいでほとんど電車通ってない)に。 だって、線路を辿っていくツアーなんだもん。

古びた駅を後に、早速ハイキング開始。
この一体は、標高2700~2800mで、一週間前にいたパンタナルのジャングルとは大違い。
カラッと乾燥していて、オゾン層が大気汚染で薄くなっていて日差しがとても強いものの、日陰では涼しい。要するに、とっても快適。

綺麗な背景を楽しみながら歩いていると、1時間もしない内に、あっと言う間にグロリエッタ城に到着。
ここで最初のトラブル発生。一応英語のツアーがあると聞いていたんだけど、うちらのガイドのMiguel(ミグエル)が探しにいったところ、どうも開いているはずの時間なのに、誰もいないとのこと。う~ん。まあこんなことは、ボリビアではよくあること。悩んでも仕方ない。
Miguelは、一応この辺りの一通りの知識がある為、彼の知っている限りの事を教えてくれた。

ボリビアは王政では無いため、王も王子もいないんだけど、ほんの60年ほど前、子に恵まれなかった裕福な夫妻が、路上の孤児を全員引き取って面倒をみるということにした為、それを聞いたローマ法王がその夫を讃えて(奥さんは~?と突っ込みたくなるけど)「prince」という称号を与え、彼が建てた城が「Castillo(城)」と呼ばれることになったらしい。
素晴らしい人には間違いないけど、趣味がいまいち…。その頃ヨーロッパなんて全く知らなかった彼は、「とにかくかっこいい城を!」という事で、その当時「かっこいい」とされていたアラビア風と欧風のスタイルを混ぜて城を作った。なので、前半分は、欧風、後ろ半分はアラビア風というなんとも不思議な建物になっている。

城の中にも入れない為、ささっと窓から覗き見して、ヨタラに行こうという話になり、道に向かって歩き出したら…またトラブル?!
今度は門が閉まっている!(来た方向には柵はなかったんだけどな~)
ということで、仕方ないので柵越え。
すぐ隣は、今は軍の訓練場になっているため、兵士達がもの珍しげに見ている…。
怒られるかも~とどきどきしていたんだけど、彼らはただ単に外国人のうちらが珍しかったみたい。
無事に柵を越え、道路へ。

ちょっと雨も降ってきたし、 予定より遅くなってきたので、ヨタラまではバスで行こうということになった。なので、道路に座ってバス待ち。
20分ほど待つと、ヨタラ行きのバスが!おお~やった~!といいながら、手を上げて「乗ります~!」(南アメリカでは、結構どこでも乗れてどこでも降りれる)のサインを出したのだけど…。
またトラブル!なんてこった、満員!止まってくれず。
次のバスは多分45分~1時間後。うーむ。まあ仕方ない、待つしかない。
…と諦め更に待つこと10分。ついにMiguelが痺れを切らし、ヒッチハイクすることに。
止まってくれたトラックの後ろに乗って、いざヨタラへ!
15分間、ガタガタガタガタ、なかなか楽しいヒッチハイクの旅だった。

ヨタラは、お祭りで周辺の村から人が集まるとき以外は、とっても静かな、古びた町。
特に珍しいものもなく、ただブラブラと歩いた。
「ランチはどうしようか~」という話をしていたら、丁度路上におばちゃんと揚げ物用の鍋が。
Miguelが、「マッシュポテトの中に卵かチーズを入れて揚げたもの」と説明してくれ、おいしそうだからトライすることにした。
おばちゃんの横に積んであった、小さい椅子(?!)を路上に出し、即席オープンレストラン(!?)に変身!待つこと数分、たった1ボリビアーノ(約10円)でおいしい揚げたてのアツアツをいただくことができた。

ランチの後は、また少しブラブラし、橋をわたって綺麗な庭がある家を覗きに行ったり、
もう一つ、面白い体験だったのは、Miguelが白い旗がたったChicheria(チーチャ屋)から2Lのコーラの空きボトルに買ってきたボリビアのコーンから作るどぶろく、chicha(チーチャ)。まず、インディアンの人たちが今でも大切にしている信仰、大地の神・pachamamaに一杯捧げて(=地面にたらす)、それから一杯ずつ、ココナツの殻のおちょこ(?)で6人で回しながら飲んだ。
味は…う~ん。アルコール度は低い。発酵してあるので、イーストっぽい味?私はあんまり好みじゃないな~。

まあそんなこんなで、色んなハプニングがあったけど、こういう臨機応変のツアーって、好きだな~。なんか冒険した気分!
楽しかった~!

2010年4月22日木曜日

Bolivia: Sucre: ホームページ 完成!!

[ボリビア ~スクレ~]

サンタクルースから飛行機で30分(!)、標高2800mの古い町、Sucre(スクレ)に到着した。

バスだったら1500円ほどで山道のドライブ14時間で来れたんだけど、飛行機だとあっという間に着くことと、そして何よりも5000円という安さに魅せられ、ほぼ迷わず飛行機で行くことに決定。

Viru Viru International Airportまで30分ほどタクシーに乗り(50ボリビアーノ = 約700円)、チェックインし、空港税15ボリビアーノを払って搭乗。

この空港税の窓口のおじちゃん、うちらを見るなり勝手に国際線に乗るもんだと思い込み、一人25USドルの空港税を請求してきた!
私は最初知らなかったから「え~?!なんでUSD?!なんでそんな高いのさ?!」とか思いながらお金出そうとしてたんだけど、Joeがそれは国際線の税額だということに気づき、おじちゃんに国内線に乗るから訂正してくれと言ったら「あ~、えへへ」と間違いを直してくれた。気づいてよかった~!!

飛行機に乗って、眼下に広がる美しい山並みを見ていると、間もなくジュースが出たんだけど、5分ほどですぐにゴミ回収、着陸準備に入った。
近すぎ!

Sucreの飛行場から町までは、タクシーで15分ほど。
程なくホステルに着いたのは良いんだけど、このホステル、汚くてあんまりゆっくりする気がしない…。歴史ある建物をホステルにしてるんだけど、改装もほとんどされていなく、 至る所で壁にひびやしみがあって。しかもWifiがない!

仕方ないから、疲れてたし、少しふらふらと高山病気味だったんだけど、旅人が集まるfree Wifiのあるカフェに。そこでランチしながら、一気にウェブ終わらせちゃおう!と言う話に。

それから140ボリビアーノ(2000円)のランチ+コーヒー+ジュース+水+ビールで6時間もねばって、ついに2ヵ月半タラタラと作っていたウェブを完成!!

netbookしか持ってないから画像処理など重い処理がやりにくこと、ホステルのネットは大体遅いので作業が進まずつい苛々しちゃうこと、そして何よりもネットよりも旅に専念したい事が多かった事から、結構時間がかかっちゃった。
まだまだ直すところはいっぱいあるけど、ついに公開できるまでの状態まで漕ぎ着けた!

http://www.horizonhunters.com/

宜しく~!

2010年4月18日日曜日

Bolivia: Puerto Quijarro: 死の列車でSanta Cruz へ

[ボリビア ~キハロ~]

あまり現地の人や日本人旅行者には知られていないようだけど、ボリビアのPuerto Quijarro(プエルト・キハロ)からSanta Cruz(サンタ・クルース)に行く列車は、別名"el Tren de la Muerte" = "the Death Train" = "死の列車"と言われている。

 この怖い異名には色んな説があるみたい。
① 建設するときにたくさんの人が命を落とした
② 脱線などの事故が多く、人が多く命を落とした
③ あまりにも揺れて死ぬ思いをする為
④ その昔、黄熱病が流行ったときに死体をブラジルからボリビアに運ぶときに使われた

多分全て本当なんだろうけど、もともとは④が有力な理由らしい。


で、乗ってみたわけです。
キハロからサンタ・クルースまで毎日電車がでているんだけど、実は2つの会社が曜日ごとに交互に運行している。私達が乗ったのは、金曜日の夜7時発の便。

まあまあ混んでいた為、午前中に電車のチケットを買いに行ったときには既にCamaのクラス(一番良いクラス)は埋まってしまっていた。
なので、仕方なくSemi Camaを購入。一人222ボリビアーノ(約3300円)。14時間の食事つき、Semi camaの列車にしてはやっぱりここはさすがボリビア、安い!

うちらは、この時点ではまだボリビアーノに換金していず、ブラジルレアルしか持ってなかったので、購入は無理かな~と思ったんだけど、(悪いレートだけど)ブラジルレアルでも払えた。良かった~。クレジットカードは、思ったとおり使えなかった。

後で実際乗ってみて気づいたんだけど、うちらぱっと見た目に夫婦に見えないため(人種が違うから ^-^ ;)か、席が車両の前方と後方でかなり離されていた。二枚一緒に買ったのに…ひどい (涙

因みに、運賃と時刻はここで調べられます。チケットを買ったら席を確認して、隣同士か確認したほうが良いかも。

さて、いよいよ、出発時刻に。
午後6時半に水だけ買って、荷物をチェックイン。ここでバックパック一つにつき5ボリビアーノ(70円ぐらい)かかったけど、まあいいや。
すぐ乗車の時間になり、乗ってみると前述の席の件で、凹みまくり。14時間も知らない太ったおっちゃんの隣に座るのか~と…。でも実はこのおっちゃん、すごくいい人で、終始にこにこにこにこして、色々助けてくれた。

いや~、この電車、信じられないくらい揺れる。
前後に揺れるだけでなく、左右にも揺れ、いかにもレールが曲がってると思われるようなガタンっ!という揺れも多し。おっちゃんも体格がいいので席が狭いらしく、私のスペースは狭くなるばかり。
寝るどころでは無いんだけど、ご飯を食べ(シンプルだけど、悪くない味だった)、映画(米映画なのに、スペイン語吹き替えで英語字幕だったため、遠い字幕はほとんど見えずあまり意味がわからなかったけど)を見終えた頃には、うとうと…。
その後、何度も目を覚ましながらもなんとか6時半頃まで寝れた。
「この電車で、黄熱病の死者が運ばれていたのか…」とうっすらと頭の奥で考えながら。
(実際は、もう一つの会社で遅いほうの電車なんだけど、既に昔使われていた実際の車両は勿論もう使われていないと思われる)

すぐ、また別の映画が始まり、簡単な朝食も出てきた。
外を見てみると、延々と緑が広がっていて、どうも放牧地のような感じ。所々、ビニールと木で作った小屋に住んでいる貧しい家族も見えた。
ああ、ボリビアに来てるんだなぁ~としみじみと思った。

無事、予定より少し速く8時45分頃にサンタ・クルースに到着。
死ななくて良かった~。あの揺れは、脱線してもおかしくない!

駅から20分程、あまり舗装されていない道路を歩いて埃にまみれながらホステルに到着したとき、ホッとして脱力。ふぅ~。お疲れ、うちら。

2010年4月16日金曜日

Bolivia: Puerto Quijarro: ブラジル→ボリビア国境越え

[ボリビア ~キハロ~]

予定よりも長く過ごしたブラジルを後にする日がとうとう来た。
午後にBuraco das Piranhasをバスで出発し、国境のブラジル側で一泊するかボリビア側でするか決める前にCorumbaに到着。
2時半に着いたので、「じゃあ国境越えするか!」と言う話になり、ATMでお金をおろして暑い日差しの中、黙々と8ブロックほど歩き、市バスのバスターミナルへ。
丁度Fronteira(国境)行きのバスが出発する直前に着いたので、3.5レアル払って即行乗車し、ブラジルーボリビア国境へ!

ここからが、長かった…。
とにかく効率が悪い。

まずは、ブラジル出国手続き。
ここでは入国も出国も同じ列。なが~いなが~い列。
しかもほとんどブラジルへの入国の人ばっかり。入国と出国の列が違えばうちらは5分で入れたはず…。5時にしまってしまう為、並んでも5時までにスタンプが貰えなければ、また明日出直さなきゃいけない。ここまで来てそんなの嫌じゃ~!
結局は、なんとか40分後には出国スタンプが貰え、無事出国~。

お次はボリビア入国。
ブラジルの国境でスタンプを貰い、小さい橋を渡ってボリビア側の国境へ。
「タクシー?」やら「両替する?」なんて怪しい人々に、「no, gracias!」を連発し、小さな汚いオフィスへ。
そこでもまたやたら効率が悪く、書類を書いて数人の列を待って終わりかと思いきや、「あ、アメリカ人?ビザいるよ」って言われ(知ってたけどさ~。先に言えよ!!!っと思ってしまったのさ)、またまた旦那は頑張って同じような情報を記入し、列に並び…。
今度は「あれ、ビザ代払った?まだなら別の列に並んでよ」。
オイっっ!!まあ別に急いでるわけじゃないからいいけどさ~。
でもなんだかフレンドリーで、憎めない人たちで、意外と「これがボリビアか~」と楽しめたのは楽しめたけど。

そっからはタクシーで4レアル(まだブラジル通貨が使えて良かった~)払い、5キロほど離れたPuerto Quijarro(プエルトキハロ)の駅で降ろしてもらった。本当はもっとタクシー代安いはずらしいんだけど、もう250円と80円の違いはどうでも良いくらい疲れてたし。


ヘロヘロになった身体に鞭打って、なんとか600mほど駅から歩いて Tamengoというホテルにチェックイン。蚊がすごくて夕方以降は外にはいれないようなところだけど、ホステル自体はすっごくきれいでなかなか良かった。
ご飯がまずかったのは残念だけど、この際文句は言ってられない。

こうして無事国境を越え、ボリビア入りしたのでした~!やったね!

2010年4月15日木曜日

Brazil: Pantanal (Braco das Piranhas): パンタナル3泊4日ツアー

[ブラジル ~パンタナル~]

前回のブログでも伝えたとおり、迷子になってしまったため、1日目は潰れてしまったこの3泊4日ツアー。まあ、仕方ない。
因みに、混んでいれば最高6~8人ぐらいまで一緒にツアーをするんだろうけど、うちらが行った時はあまり繁盛期では無いらしく、うちら二人と、あとドイツ人の観光客の女の子の三人だけだった。ラッキ~♪

さて気を取り直して、2日目。
この日は、ボートツアーと釣り。

ボートツアーは、かーなーり楽しかった!
歩かなくていいので楽だし、風はきもちいいし、天気もいいし、何より野生動物をたくさん見る ことができた。


ワニ(Caimanというクロコダイルよりも、アリゲーターよりも小さい種)、でっかいのから小さいのから色とりどりなものまで様々な野鳥、猿、そして私 が一番見たかったカピバラ!逆光で眠そうな目を見ることはできなかったけど、親子で泳ぐところまで見せてくれて大満足。かなりシャイなので長居はしてくれ なかったけどね。

もう一つ楽しかったのは、湿地帯でのスイミング。
ぬるぬるした湿地帯に降り立ち、田んぼみたいに浅い水の中を少し歩いた後、川に思い切って飛び込んだ。意外と温かくて、速い川の流れに暫し身をゆだね、楽しんだ。このボートツアーはとにかく大満足だった!
カヌー大好きな私は、カヌーがあったら静かで、水にもっと近くて楽しいのにな~とぼんやり考えてはいたんだけど。


午後は釣り。
正直あんまり釣りに興味はなかったんだけど、実際釣ってみると楽しいもんだねぇ。
しかも、人生初のピラニ ア釣り!
残念ながらちびのピラニアしか釣れなかった為、逃がしたんだけど。
でもピラニアって、血が大好きで、血が出てれば共食いさえするはず…。逃がした子達も食べられちゃったのかなぁ。悪い事したなぁ。
罪悪感から、2匹釣ってその後は見学してました。
餌を落とした瞬間からすぐつれちゃうので、2匹釣ったらもう十分堪能できた。

3日目は、ジャングル散策ツアー。
ジャングルとは言え、この広大な湿地帯(パンタナル地域は全部でフランス国土の半分もある)、実は国立公園は一つもなく、全て酪農家の所有地なのだ。なので、ジャングルと言っても、酪農家の土地に入って歩き回る、って感じ。
でも野生動物はそのまま放牧の牛達と共存してるから、野性味はたっぷりあるんだけど。
この日見れたのは、コンティーというアライグマみたいなやつ、Black Hawler Monkeyという猿、アルマジロ、鹿。私のお気に入りは、アルマジロ。キュートな奴よのう。

午後は、本当は乗馬のはずが、農家に連絡が取れなかったらしく、チュービングに変更。
要するにでっかい浮き輪にのって川下りなんだけど。
上流までボートで連れて行ってもらい、何度も「ピラニアいない?ワニ来ない?」って確認し、浮き輪に乗り、ぷかぷかと一時間ほど…。ん?ここピラニア釣ったとこじゃん!!!!
ということで、結局ピラニアもワニもいるところでチュービングしてきました。
まあ野生動物はこちらが悪さしたり、邪魔したりしない限り襲ってこないけどさ。
ピラニアにはちょっとドキドキしたなぁ。

夕方は、ボートで夕日を見に行き、夜のボートツアー。
夜行性のワニの赤く光る目(懐中電灯を当てると赤く光る)がぎらぎらぎらぎら至る所に光っていた。
結構臆病で、近くに行くとすぐ逃げちゃうか、近くにいってもこっちをじっと見てるだけ。勿論手を出したらガブッとやられるんだろうけど。

こうして、色々あったけどパンタナルのツアーが無事遂行できた。
ツアー自体も楽しかったんだけど、何よりも良かったのは天気!
4日間、ずっと雲のない快晴続き。昼も気持ちよかったけど、夜の満点の星も言葉を失うぐらいの迫力があった。
今まで色んな所できれいな星空を見てきたけど(世界一の展望台のある標高3000メートルの山も含め)、 ここパンタナルの星空が今までの人生で一番すごかった。
今まで気づかなかったけど、星を見るとき、空気がきれいで、ネオンが少ないところなのは勿論大事だけど、それに加えて月が無いことも大切みたい。パンタナルでは一日のうち月が昇るのは短い時間の為、月を見ることがなかった。全ての条件が重なり、あのすごい星空を見せてくれたんだなあ。

最初は全然くる予定のなかったPantanal。
くる事になっても4日しか滞在を予定していなかったのに、結局いろんなことが重なり10日近くも滞在してしまった。この広大な知らざれる自然の中で、ビーチなブラジルとはまた違った表情を見せてくれた、Pantanal。
楽しかったよ~!ありがとう!!

次回は、もうちょっと予算を多めにして、子供を連れて、Marcelloのツアーに参加したいな。
もっともっと、インディアンの代々受け継がれた知識と、パンタナルへの情熱から色々教えてくれそうだから…。