2010年10月31日日曜日

Bosnia & Herzegovina: Mostar: 深緑

[ボスニア・ヘルツェゴビナ ~モスタル~]


やって来ました!Mostar(モスタル)
夏ごろ、「東欧どこ行く~?」って色々ウェブで調べていた時、私が写真を見つけて一気に一目惚れした、モスタル。町の中心を流れる川にかかる橋は、モスタルの悲しい過去から平和な今までずっと歴史を見守ってきた有名な橋で、ちょっとした観光地。
でも、私が一目ぼれしたのは橋ではなく、 光によって色が変わる深い緑の美しい川。丁度、次に行きたかったCroatia(クロアチア)のDubrovnik(ドブロヴニク)までの途中にあるので、行ってみようということになった。

大好物、肉団子グリル?のcevapcici!
今回は、カウチサーフィンが見つからず、久々のホステルステイ。
でもこのホステルは、モスタルで大人気のホステルで、オーナーがアパートを改造してホステルとして運用している、とっても家庭的で温かい。オーナーもすごく優しくて、人気なのも彼女の人柄による所が大きいんじゃないかな。

Joeの誕生日が迫っているので、モスタルもたった二泊。早速、散策へ。
この小さな町は、イスラム教の文化が色濃く、まるでまたイスタンブールに戻ってきたみたい。川を境界にイスラム教とキリスト教が分かれてるんだけど、町が小さいので文化が混ざっていて面白い。
川沿いにあるモスクは自由に入れて、お金を払ってチケットを買うとMineret(塔)に登って町を見渡すことができる。ちょっと予算オーバーのため、私たちは諦めたけど…。
残念ながら光の関係できれいな写真はとれなかったけど、橋を川から眺めて大満足。
この深い緑が何とも言えない。文化の架け橋の象徴の橋も壊されたり、また構築されたりと、いろいろあったけど、今はしっかり何千人もの観光客がモスタルの両側を行ったり来たりする手助けをしている。


Mostarの町とグリーンのNeretva River
Mostarのold bridge
古くて素敵な窓

でも、ここもやっぱり戦争の被害が大きく、スナイパーズ・ネストと呼ばれるでっかいビルが戦争時に人が逃げた時のまま修復する資金もなく残っていたり、銃弾の跡が至る所に残っていたり。

戦争の後そのままにしてあるBank building。中に入れる「Sniper's nest(スナイパーの巣)
窓のガラスはひとつもない
Sniper's nestの屋上
 
過去と現在
もうちょっと川を眺めていたかったけど、もうJoeの誕生日が明後日に迫っているので、移動しなきゃね。いよいよ、久々の海。しかもアドリア海!紅の豚だ~!

2010年10月29日金曜日

Bosnia & Herzegovina: Sarajevo: 久しぶりのホステルステイ

[ボスニア・ヘルツェゴビナ ~サラエボ~]

Serbia(セルビア)のBelgrade(ベオグラード)から雪の積もる山を越え、Bosnia and Herzegovina(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の Sarajevo(サラエボ)の「スラブ側」に到着。歴史的な理由から「イスラム側」「スラブ側」に別れているみたい。

夜、無事に到着したのはいいけど、ATMがバス停になく、お金がなーい。でも、観光と町の中心はイスラム側。
ホステル(そう、ここではカウチサーフィンのホストが見つからなかったの…)への行きかたを参考に異動するも、周りは住宅街で車も人通りも少ない。重いバックパックを担いでやっと300m先に苦労して見つけたバス停に到着。ふぅ~。途中でATMでお金もおろせたし、これで万事OK!
1時間半後にやっとホステルに駆け込み、リラックス~。寝てばかりなのに、何故かバスの旅は疲れるんだよなあ。

友達が持ってきてくれた豚汁をメインに、簡単な和食
久しぶりのホステルステイで感じたのは、「私たちは、他のバックパッカーと出会うよりも、地元の人との交流が好き」だと言うこと。だって、他のバックパッカーとは大体似たような会話しかできないんだもん。どこ行った?仕事は何?どれ位旅してるの?この辺ではどこがいい?…とかね。
ま、それでもホストとつきっきりで話をする必要のないホステルステイでは、周りと自分たちを切り離して、静かにすごせるからたまにはいいかも。
ちょっとブログや、写真のアップなどに集中することができてよかったかな。

銃弾の跡が今は巣に
サラエボは、言わずと知れた、90年代前半、戦争の渦中に集中攻撃のあった場所。まだまだ町の至る所に戦争の爪あとが残っていて、見ていてとっても痛々しい…。
3年半も恐怖に怯えながら生きた人々が暮らすこの町。

私たちは、幸いにも、地元の学生のネノという男の子のフリーウォーキングツアーで、サラエボの美しい町と多くの歴史的な場所を周る間に、戦争中の暮らしについても色々と教えてくれた。ネノは、子供時代の大切な時に地下で貧困の中暮らさなくてはいけなかった様子を、オープンに話してくれ、とっても感謝。今でも思い出すのが辛くて、口を閉ざす人が多いというのに。(日本の第二次世界大戦経験者でもそうだし…)

サラエボは、山に囲まれていて、攻撃する側からしてみれば、とても好ロケーションだったとか。かなりの数のスナイパーが山に隠れ、道を行き来する人を狙い、一般市民が無数に殺された。今では、サラエボのバラ(銃撃にあって人が殺された場所にある)などで、実際にどこだったのかがわかる。これを見たときも、心が痛んだ。


サラエボの色々な所を案内してくれたネノ
町の真ん中を走る通称「スナイパーストリート」は、今は車も人通りも激しいのに、当時はがらーんとして、現在とは全く違った様子だった。ネノは、お母さんに仕事に行ってほしくない(外でスナイパーストリートの近くを1時間以上歩いて行っていた)と頼んだけど、「途中で死んだらそれも運命」と、仕事を続けながら戦争中をすごしたんだとか。
お金は貰えないけど、仕事をキープするために仕事を続けたお陰で、今もその仕事に従事し、お給料を貰えてるとネノが言っていた。一方、戦争中に仕事をやめた親戚は、今の経済状況で10年以上も仕事を探し続けているらしい。
サラエボで多くの一般市民が犠牲になったけど、実際に軍が町を占領することはなかった。これは、地元の人によると、ボスニア人を拷問する為、世界のメディアが首都の被害に目を向けている間に他の町でもっと酷い虐殺をする為だったと聞いた。
更に昔には、有名な世界第一次大戦の勃発の引き金となったフランツ・フェルディナンドの暗殺もあったサラエボ。
とにかく、戦争をすごく身近に感じた町だった。


一方、今では大きな観光地と化している。
安全で、でっかいCanonやらNikonを首からぶらさげてるおじさん・おばさんがいーっぱい。20年で本当に変わるものだね。
サラエボの人気の秘密は、歴史的に見て宗教的な多様性が特徴で、中でもイスラム文化が残っている観光の中心地がすごく素敵。史上初めての公衆便所もここだったとか。今でもしっかり残ってるよ。
また、とっても美しいモスクや、レストランやお土産屋が並ぶ所が素敵。地面も、石が素敵だし。
そして、ご飯が安くておいしい。特にBorek(ボレック)!ミートパイみたいな感じなんだけど、ウマイ~!


サラエボは、ほんの2日間だったけど、ウォーキングツアーもあったし、結構充実した滞在だった。あ、ホステルで知り合ったAnyaがとってもかわいくてヒッピーで、意気投合。Joeのスケッチをあんなに強い興味を持って細かく色々知りたがってくれた人も始めて。良かったね、Joe。



昔から残るイスラムの銅器街
イスラムの月時計。かっこいい!
世界最古の公衆トイレ

でかいトルココーヒー(ボスニアでは「ボスニアコーヒーと言いましょう)メーカー
公園でチェスに興じるおじさま達

町の中心にある
これがビュレックだ!うまい~♪

Joeのスケッチに超興味をしめしてくれたAnyaと説明するJoe

次は、いよいよ私が一度写真を見て一目惚れした、Mostar(モスタル)!


● もっと写真が見たい人~!

2010年10月27日水曜日

Serbia: Belgrade: 温かい笑顔

[セルビア ~ベオグラード~]

Serbia(セルビア)には、2日だけ通過点としてあっと言う間に過ぎる予定だったため、特に何も考えずに足を踏み入れた。
小雨が降り続き、寒く、移動が続いて疲れていたためあまり動かなかったけど、それでもBelgrade(ベオグラード)での滞在が思い出深いものになったのは、一重に今回のカウチサーフィンのホスト、Rade(ラデ)と愛犬Bobby(ボビー)のお陰。

Timisoaraのホスト、Radu(ラドゥ)のお陰で知り合ったんだけど、2日間の予定を延ばして3日滞在にしたのも、もっとRadeと時間を過ごしたかったから。

Radeは、印刷所で働く2人の男の子(といってももう20歳前後)の父親。ベオグラードの中心からバスで20分の所に住んでいて、今夏からカウチサーフィンを始めたばっかりなのに、もう何十人も世界中のバックパッカーをホストしたツワモノ。夏の混雑時には、10人近く泊めたこともあるんだって。すごいな~。「世界中自分で周れないなら、世界が自分の所にくればいいんだよ!」と嬉しそうに言っていた名言を聞いて、なるほどと思った。

彼はとっても好奇心が強くて、本当にいろんな話をした。とっても温かくて優しくて楽しくて、もっともっと色々一緒に話したかったなあ。シルク・ド・ソレイユが大好きで、今度公演を見に行くんだと、すっごく嬉しそうに奮発して買ったチケットを見せてくれたあの笑顔が忘れられない。セルビアのオーブン料理とビールで歓迎してくれたし。

Bobbyは、大きな図体のわりにとってもスイートな犬で、滞在中はたっぷり遊ばせてもらった。やっぱり動物はかわいいなあ。

ベオグラードではあまり観光らしい観光はしなかったけど、唯一足を伸ばして行ったのが、(またまた)要塞。どうでもいいけど、この辺要塞多いなあ。ベオグラードのは、しっかりぐるりと一周残っていて、中は公園みたい。天気さえ良ければもっと楽しかっただろうなあ。ま、でも人が少なくて静かな小雨の散歩も良かったけどね。

セルビアは、安かった。食べ物を買っても、ビールを買っても、とにかく安い。今まで旅してきた中でも3本の指に入るかも。
一方、経済がまだまだ不安定のようで、中心街には高いブランドの店が並ぶ中、町の中心の中心にある広場に面する、博物館になる歴史的な建物は、もう何年も改築工事をやっていたのに、今は予算がなくて打ち切られたらしい。中心街の、更に中心的な建物が出来上がっていないというのは、なんだか寂しい感じだったなあ。

ベオグラードの商店街
おじゃましまーす
さすが要塞。お約束どおり丘の上にあるので見晴らし最高!霧のドナウ川も素敵

きれいだけど、ざぶい゛~




踊る旦那。こんなことができるのも雨で人が少ないお陰?!



要塞の中は公園みたい
セルビアのオーブン料理。温かさが身に沁みるぅ

Radeとは楽しくて話が尽きない!
 
ま、そんな感じであっと言う間にセルビアも通過。ここも今度はじっくり周りたいなあ。
次は、ボスニア・ヘルツェゴビナ!


● もっと写真が見たい人~!

2010年10月25日月曜日

Romania: Timişoara : ルーマニア版秋の行楽

[ルーマニア ~ティミショラ~]

長いバスの旅を経てTimişoara(ティミショラ)に着いたのは、そろそろ日も暮れようという時。Corinaが気を利かせて、携帯電話のない私達(緊急用に日本のはあるけど、ヨーロッパで使うとかなり高い)の為に次のホスト、Radu(ラドゥ)に電話をして、Raduとバスの運転手とで私たちをどこで何時ごろ降ろすか連絡を取るよう手配してくれた。
そして、ティミショラに入って間もなく、運転手さんが道端で停まったかと思うと、「そこの二人、ここで降りなさい」と降ろされちゃった。
ちょっとびっくりしたけど、ちゃんとそこではRaduが待っててくれ、笑顔で私たちを迎えてくれた。

ティミショラは、ただの通過点としてしか考えてなかったので、特にガイドブック等で予習もせず来たから、Raduに「どんな目的でティミショラに来たの?何か観光したいものとかあったのかな?」とか聞かれたときは、とっても申し訳ない気持ちになってしまった…。
もうこの時点では、今までのホストのお陰で、ルーマニアの代表料理も食べつくしてたし。

ハイキングコースからの眺め

結局、滞在中の二日間で観光したのはちょっとだけで、一日は友達のSteveの運転でRomaneşti(ロマネシュト)という村の洞窟で行われるというクラシックコンサートに行くことにした。秋のイベントとして、紅葉の中を1.5km、ハイキングした後に辿り着く洞窟でクラシックが聞けるというわけ。大盛況で、老若男女様々な人が来ていて、結局数千人も集まったんじゃないかなあ。洞窟の中は広くて一応みんな入れたけど、残念ながら入り口は大渋滞、しかも結構雑音が多くて音楽はほとんど聞こえなかった…。このイベントはまだ数回目らしく、しかも今回は予想以上に人が集まってしまい、準備が整っていなかったみたい。でも、ハイキング+洞窟でのコンサートなんて素敵なアイデアなので、今後もどんどん改善されていってほしいな。

Raduとお友達と
洞窟はここ~!




音楽に聞き入る人間とこうもりたち



ハイキング途中にあった教会から出てくるおばあさん達
コンサートの後はRaduの手作りホットサンドでピクニック

ところで、次の日行く予定の次の目的地、Serbia(セルビア)のBelgrade(ベオグラード)でのホストがまだ決まっていなかったのが、ちょっとストレスになっていた私達。 その事をRaduに話すと、ちょうどベオグラードのカウチサーフィンメンバーが観光でティミショラに来てるから、会ってカウチがあるか訊いてみたら?と言ってくれた。どうも、Raduも直接は会った事はないらしいけど、カウチサーフィンを通してネット上で友達の人らしい。

ベオグラードのカウチサーフィンメンバーには5人ぐらいにリクエストを数日前に送っていたのに、一通も返事がなく、ちょっと諦めていたので、「Raduのとこにお世話になってて、次のベオグラードでカウチがなく困ってるんだけど、お世話になれませんか」とお願いしたら、うちらのプロフィールを確認する事もなく、すぐに「いいよ~!」と返事が返ってきたときはほっとした~!(普通は、やっぱり信用問題なので、お互いプロフィールを確認するのが普通なんだけどね)次のホストは、Rade(ラデ)。Raduと名前、似てるなあ。

Radeは、温和な40過ぎのおじさんで、観光でティミショラに来ていたにも関わらず、わざわざベオグラードに夜行バスで帰る前に少し会う時間を作ってくれ、自己紹介をしたり、家までの道順を教えてくれたり、とっても優しい人だった。

こうして、短いティミショラの時間はあっと言う間に過ぎ、いよいよルーマニアを去るときが。カウチサーフィンのお陰で地元の人とふれあい、おいしいものをいっぱい食べ、普通の観光ではなかなか見れないルーマニアが見れたと思う。



思ったよりも長い1ヶ月という滞在期間だったけど、かなり楽しかった~~!ルーマニアを後にするのはちょっと寂しいけど、がんばって前をみて進んでいかなきゃね。
さあ、次はいよいよ旧ユーゴスラビア、セルビアに突入!

2010年10月23日土曜日

Romania: Baia Mare: 深い森の温かい秋

[ルーマニア ~バイア・マレ~]

天気はイマイチだけど見事な紅葉!
ルーマニア人にルーマニアの観光お薦めポイントを聞くと、先ずはBrasov(ブラショフ)周辺を薦められ、その後出るのが、まだ観光地化されていないけどルーマニアの国内旅行ではジワジワと人気が出てきているという、Maramures(マラムレシュ)地方。ここでは、ヨーロッパの中でも珍しく今もまだ「農民文化」と言われる、代々農民として暮らし、木の文化(ヨーロッパはほとんど建物は石だから、木造は珍しいのだ~)を大切に継いできた、北のハンガリー及びウクライナとの国境近くの地方。


早速、カウチ候補は少ないものの、ここでもカウチをゲット!
Corinaとリラックスタイム
 今回は、まだカウチサーフィンを始めたばかりで、私たちがサーファー第一号だと言うCorinaと愛嬌たっぷりの7歳の一人息子Andrewのお宅にお邪魔しまーす。
マルムレシュ地方の中心、Baia Mare(バイア・マレ)という町に到着したのは、日が暮れてから。バイア・マレから12km離れてる小さな村に住んでいるCorinaは、わざわざAndreを連れて車で迎えに来てくれた。荷物が大きいから、とってもありがたい。


とってもお洒落なでっかい家に母一人、子一人で住んでて、折りたたみベッドも快適!これからこの地方を通るカウチサーファーに人気になりそうだね、なんて話してたんだけど、残念なことに、ローンを払うのが苦しくなってきて、あと数ヶ月で家の買い手を探してバイア・マレのアパートに引っ越しちゃうんだって。

ルーマニアでは、どこでも地元の人と話せば経済の話になるんだけど、ここでも同じ。EUに入って喜んだもの束の間、ルーマニアにとってはあまり賢い選択ではなかったんだ、と。というのも、ルーマニアの産業をほかの金持ちEU諸国が買占めて利益を国外に持ち出したり、逆にEU諸国の民間企業がどんどん入ってきて、ルーマニアの産業が潰れて失業者が増えたり…。こういう所を実際に旅して回ると、一人一人が一生懸命生活するのに、資本主義の弱肉強食、金第一主義が本当にいいかどうか、というのはいっつも考えさせられる。 ルーマニア経済は悪化を辿る一方で、個人個人まで生活が苦しくなってるほど。日本でも生活は厳しくなってるけど、それとは比べ物にならないくらい、ここ東欧の人は大打撃を受けているみたい。なんといっても、西欧スタンダードが浸透し始めているのに、月給は平均200ユーロだとか。500ユーロはかなりいい方、800ユーロは信じられないくらい良い、らしい。

BudestiのSt. Nicolae
さて、バイア・マレでは、計4日間お世話になった。寝る所だけでなく、食事も毎食食べさせてもらっちゃって…。しかも、Corinaはうちらの為にわざわざ一日休暇まで取得してくれたし。優しいなあ。

あまりちゃんと予習をせずに来てしまったこの地方は、農民文化体験ができると言うことで、国内旅行の行き先としてが少しずつ人気が出てきてはいるものの、実は観光用の整備があまり進んでいず、町から町までローカルバスも満足に走っていないとか。 国内旅行で来る人は自家用車で来るので問題なし。でも私たちは、車がなーい!ので、Corinaが車で連れて行ってくれなかったら、どこにも行けなかったってこと。本当に感謝、感謝。

「どこに行きたい?」と聞かれても、うちらが持っていたマルムレシュの情報は、いろんな人からちらっと聞いただけで、農民文化、木の文化、Merry cemetary (ガイドブックによっては、happy cemetaryと書いてあることも)のことくらい。
Corinaも元々はこの辺の出身ではないらしく、私たちのリクエストを元に同僚から色々情報を集めてくれた。

私が一番感動したのは、Budesti(ブデシュトゥ)のSt.Nicolaiという木造の教会(英:Wooden church)。
バイア・マレから山をひとつ越え、国境近くの村へ。この辺は木造教会が多いんだけど、そのひとつを通過した村で発見。小雨が降る中、手作りの教会への標識を辿りながら、小さなうねうねした道を行くと、静かにたたずむ教会が。古い木造のダークなブラウングレー(日本の古い木造家屋の色)に、明るいグレーの雲に覆われた空、しとしと降る雨、芝生の鮮やかな緑、そして色とりどりの花が飾られたお墓。人っ子一人いない、静かで色のコントラストが素敵な教会。門は開いてるけど、残念ながら建物には鍵が。まあ、外から見れたらいいかぁ。…なんて諦めモードだったんだけど、なんと、通りかかった村人が親切に、道を下って一番目の家の主が教会の鍵を持っていると教えてくれ、Corinaが呼びにいってくれた。

間も無く鍵をもったおじいさん登場。わざわざ東洋人がこんな田舎まで来てくれたのがうれしかったらしく、終始笑顔で対応してくれた。さて、中に一歩入ってみて、「うわぁぁぁ~~~!」って思わず声が出ちゃったよ!まず、靴を脱いで入るんだけど、裸電球の温かい光に浮かんだのは、地元の伝統工芸の絨毯が敷き詰められ(これはイスラム教のモスクにとっても似てるかも!)、壁にははげかけた古いフレスコ画が浮かび、祭壇はこれまたきっと地元の人が作ったと思われる、色とりどりのキリスト教に関連する話の刺繍画に白い布をかけてあるものが所狭しと飾ってあり、とってもエキゾチック。今まで色んな教会を見てきたけど、こんなに素朴で、温かくて、全く他に見たことのない教会は初めて!東欧は、カトリックではなくオーソドックス派が多いから、また少し雰囲気が違って新鮮。やっぱりちょっとロシア文化のイメージに近いかな。


Wooden monastery in Bârsana
お次は、修道院。これまた木造。ここは、よく知られるこの辺の観光名所。愛想のない修道女のお姉さんからチケットを買い、入場。修道院は、日本のお寺みたいにどこも良く手入れされていて、とっても清潔感溢れている。建築物も古い木造だけどしっかりしていて、どっしりと構えていてきれい。寒いので薔薇は枯れ木だったけど、色んなところに薔薇があったので、薔薇の季節に来たらさぞかし奇麗だっただろうに…。残念!


もうひとつは、Merry cemetary。国境にある小さな村なんだけど、なんでも19世紀終わりの墓職人(?)が、暗いお墓じゃつまらん!と、墓標(?)になる十字架を平和の象徴の鮮やかな青を塗り、亡くなった人の人生の一番幸せだった時の絵を入れ、しかもその人の詩まで作って(ルーマニア語でちゃんと韻を踏んでいる)描いたのが始まりだとか。う~ん、こんなこと、小さな村じゃないとできないよなあ。
Merry cemetary in Săpânţa
その伝統を作った人はもう亡くなってるけど、その人の弟子が今でもその伝統を受け継いで続けているんだって。そのユニークなアイデアもそうだけど、結構ウケる詩がいくつかあるとかで、有名になり始めている観光スポット。遠いけど、またまたCorinaが車を飛ばして連れてってくれた。
村は、また山をひとつ越えた国境近くで、車で2時間半ほど。山道をぐねぐね、しかも雪道だから時間がかかってしまったのだ。
こんなにカラフルで愉快でほのぼのしてるお墓は初めて(そして入場料取られたのも)。ルーマニア語から翻訳できる人が一緒じゃないと面白い詩のお墓を探すのは難しいけど(何百もあるお墓のうち、笑えるくらい面白いのは数人だけ)、ルーマニア語の詩を声を出して読んで貰ったら韻を踏んでてリズム感があって、それだけでも楽しい感じ。こういう所に埋められたら、嬉しいよねぇ。死後は真っ暗って感じがしなくていい。是非、この伝統を続けていってほしいなあ。Andreは、お墓は初めてだったようでちょっとビビッてたけど。

農民文化が息づくここら辺でしか見れないという、それぞれの家にある伝統的な木のでかい門が並んでて、ちょっと日本を思い出した。装飾が施されていて、古いのは味が出ていていい。Corinaは、なんでうちらが、できたばかりのきれいな門ではなく、寂びれた古い門を撮るのか不思議がってたけど。
ラッキーな事に、Corinaのお陰で地元の人との交流もできた。ここら辺の農民は、若くてもおばあちゃんでも、頭にはスカーフ、下はレギンスにスカートをはくのが伝統的なファッションなんだけど、写真を撮りたいな~とCorinaに何気なく言ったら、わざわざ街角で車を止めて、そこにいる4人の女性に写真取らせてくださーい!とお願いしてくれた。おばあさんは、突然の事で恥ずかしがってたけど、最後には4人並んでポーズを決めてくれた。

それを見ていた愉快なおじさん達が、「おーい、俺達の写真も撮れよー!」(多分、ルーマニア語でそう言ってたんだと思う)とアピールしてきたので、ついでに撮らせてもらった。急なリクエストに応えてくれてありがとう!


Christmas feast
もう一つ、イスラエルでの農業体験がすごく楽しかったという話を聞いたCorinaは、私たちが動物好きだというのを見越したらしく、この農村で牧場を持っている人を探してくれた。 町にいるおばあさんに聞いたら、知り合いが小さな牧場を持っているから紹介してくれると、車に乗り込んで、道案内してくれた。牧場と言っても、子供が出稼ぎでフランスに出て行ったため、ほとんど動物は売り払い、今は馬、牛、豚を数頭飼うだけにしているとか。それでも、久しぶりの牧場はほのぼのして良かった。2匹の丸々と太った豚は、今年のクリスマスのご馳走にするんだとか。クリスマスをルーマニアの農村ですごせたら、色々新しい経験ができて楽しかっただろうなあ。
伝統的農家のおうちの中
オーナーのおばあさんは、農民の家の中も見ていきなさいと、家に上げてくれた。日本と同じで、靴は玄関で脱ぐ。色とりどりのカーペットが敷き詰めてあり、壁にも暖を逃さないように、タペストリーのようにカーペットがかけてある。(床のがぼろぼろになったら、壁にかけてあるやつを床に敷くらしい) 壁にはお皿がかけてあり、布がかけてある。前述の教会と雰囲気が似ていて、とっても温かい感じ。色々見せてもらって、とってもいい経験ができた。

ドライブのもう一つのハイライトは、紅葉。ブラショフに引き続き、ここでも見事な紅葉を見る事ができた。ここは、人(観光客)の少ない、一帯に広がる燃えるような赤はびっくりするぐらい美しくって感動!日がある内に写真を撮りたかったけど、急がなくちゃいけなかったため(日暮れが4時半だから)、残念ながら暗ーい写真しか撮れなかった~。まぁ、心に残しておけばいいよね。


さて、戻ってバイア・マレでは、おやつにルーマニアの伝統のパイを。普通は、Lサイズのピザ程のパイをおやつとしてペロッと食べるらしいんだけど、Corinaがアップルとチーズのパイ二つも注文して、びっくり!4人でそんなに食べられるのかなあと心配だったけど、杞憂でした。あっという間に平らげちゃった。上下のパイ生地の間に具が入っていて、それを焼き上げたもの。美味♪

今回も、ホステスのCorinaが毎食腕を振るってルーマニア料理を食べさせてくれ、お腹も心も感謝の気持ちでいっぱい満たされたー!


さあ、そろそろ寒くなってきたし、Joeの誕生日も近づいてきたから、ちょっとスピードをあげなきゃね。次は、ルーマニア最後の町、Timisoara(ティミショラ)。