2010年10月20日水曜日

Romania: Brasov: 欧米観光客の定番!?ドラキュラの里

[ルーマニア ~ブラショフ~]

Catalinと夜食
Bucharest(ブカレスト)から列車で4.5時間、ドラキュラ伯爵で知られるTransylvania(トランシルバニア)地方にあるBrasov(ブラショフ)にやってきた。今回のホストは、旧市街のど真ん中にアパートを持つ、45歳ぐらいの強面の警官、Catalin(カタリン)。
もともと、マウンテニアリング(山岳)のナショナルチームの属するほどのバリバリのスポーツマン。毎晩毎晩、夜中2時まで自家製のワインとPalinka(パリンカ)を振舞われ、スポーツから武道から料理から共産党時代の話まで、話が尽きることなし!こんなにいっぱい語ったホスト今までいないかも。特に、共産党時代の話や、ルーマニアの政治経済についての話はとっても興味深かった。

ブラショフ旧市街の中心広場
共産党時代は、毎日2時間しかテレビが観れず、それも毎日同じプロパガンダだけが流れる放送だったらしい。週に水土日だけ、インドとか、ロシアとか、外国からの映画が上映されたとか。朝4時から並ばないとパンが貰えないとか、なかなか旅行は難しかったとか、お金を稼いでも、店に物がなくて何も買えなかったとか…。そこだけ聞くと、なんて不便なんだろうと思うけど、その時そこで住んでた人にとっては、仕事も住まいも保障されていて、お互い助け合う共産主義は、物が溢れてお金に目がくらんでいる資本主義の生活を特に知らなければ、何不自由ない平和な生活だったとか。それが、昨今はEUに加入したお陰で他のEUの産業がルーマニアに入ってきて、ルーマニアの産業を潰し、失業率があがり、貧困に苦しむ人が増え、経済が大変な状況になっているらしい。
曇ってて写真はいまいちだけどすごかった紅葉
実際、ルー マニアでは何人も、"During communism time, we had money but there were nothing to buy in the store. Now there are many things to buy in the store but we don't have money."(共産党時代は金は稼げても店に物はなかった。今は、逆に店にものは溢れているけど金がない)と言ってるのを聞いた。一番不便がなくみんな幸せだったのは、共産党時代とEUの間、1990代~2000年代前半だったんだって。
以前ベルリンに留学してた時は、元共産党だった東側にホストファミリーの家があって色々話は聞いていたけど、感覚では東ドイツの共産党よりも、ルーマニアの共産党の方が規制が厳しくない感じがするかも。

ロールキャベツみたいなsarmale
カタリンの家での滞在のもうひとつの思い出は、食べ物!
カタリンも一人暮らしが長いこともあり、とっても料理上手。自家製酒の肴にご馳走してくれた地産の猪のソーセージや、チーズはもちろんの事、毎日毎日カタリンや、週末遊びに来た彼のガールフレンドのラクラが作ってくれるルーマニア料理が絶品!スープ(ルーマニアでは必ずまずスープが出る!)、salmale(ロールキャベツのようなもの)、mici(スパイスが効いた俵型のミートボール)、mamaliga(ポレンタとチーズの混ぜたもの)などなど…。もう今では、うちらはすっかりルーマニア料理のファンだよ~!


さて、ブラショフは後ろが山、前が平野に囲まれていて、建物も旧市街にはヨーロッパ調のものが多く、数日ゆっくり過ごすのに最適。特に私たちがいた10月後半は燃えるような紅葉で絶景!あんなにすごい紅葉を見たのは初めてかも。(日本ではいつも混むから紅葉狩り言った事ないからかな)
一方、ブラショフの町を囲むいくつかの町(20km~200km離れている)もすごく魅力的で、観光の拠点とするにはぴったりの町。



ブラン城
まず最初に私たちが行ったのは、ドラキュラ伯爵の小説の元になったと言われるドラクル侯がいたBran(ブラン)。ドラクル侯は、オットマン帝国と戦い、敵兵を杭で肛門から首まで串刺しにして磔にした際、わざと致命傷になる背骨をはずして苦しみが続くようにしたその残忍さからドラキュラ伯爵の小説の元になったと言われている人(きゃー、ひどい)。近年の研究では、実は作家はブランを訪れたこともなく、ただトランシルバニアという名前だけを借りて小説を書いたという噂もあるけど。まぁ、でもFacebookに「トランシルバニアに到着」と書くと、欧米人友達は、待ってましたとばかりに「血を吸われないように!」とか「もしや、ハロウィーンはそこで迎えるの?」とか嬉しそうに書いてくるので、やっぱり特別な場所なのだ。普段観光地にあんまり興味のないJoeも、ここは真っ先に行きたがってたし。
ブランはブラショフからローカルバスで30分ほどで行けるとても行きやすい所にある。ブラン城自体は、勿論ドラクル侯以外の統治者が代々住んでいたこともあり、城内の博物館はドラキュラ以外についての情報が盛りだくさん。このお城は、今まで行ったヨーロッパのどの城よりもアットホームな感じを受けて、新鮮だった!




「うしし」 「おい…、落ち着け」

お城の中庭。ドイツの建築様式が色濃い
たそがれる旦那
そこは井戸でーす。飛び込まないでくださーい
 



もうひとつ、日帰りで行くには実はちょっと遠いんだけど、「中世の町」と言われているSighisoara(シギショラ)へ足を伸ばしてみた。200km以上離れているので、バスでも電車でも片道約2時間。東欧に入って、色んな所で「旧市街」を見てきたけど、この多くはルネッサンス時代の建築が多かった。でも、このシギショラは、それよりも古い中世の建築が残っていて、更にその中でまだ人々が生活している世界遺産なのだ~!夏には地元人も観光客も中世の格好をして、中世の楽器を路上で弾き、中世の人になりきって生活する1週間のお祭りがあるらしい。う~ん、行ってみたい!
旧市街は、小さいけど今までとは違った建築様式で、古くて味のある建物が並んでいてロマンチックな感じ。生憎、電車の時間の都合で2時間しかいれなかったけど、今度は夏のお祭り期間に来て何日か滞在したいなあ。


中世ってルネッサンスとはまた違って味があっていいなあ




新しい看板も中世っぽい


看板多くない?





本当は、山でのハイキングとか、別の素敵な町とか色々行きたかったんだけど、またまたここでJoeが熱を出しちゃって、断念せざるを得ず…。Bucharest(ブカレスト)のホストがかなり重い風邪を引いていて、平気だと思ってたんだけど、ブラショフ着いてすぐに二人とも発症。私は、一日で喉の痛みを治したんだけど、Joeはまた熱が39度出て…。弱すぎ!と怒っても仕方がないので、甲斐甲斐しく看病しましたわよ。
東欧では、ロシアで言うウィスキーの、強い地酒(PalinkaやRakiaと言われる)を温め、それと唐辛子のピクルスを一緒に飲むと風邪が治ると言われている。もちろん、風邪でフラフラのJoeにやさしいカタリンが強く勧め、Joeもトライする事になった。でも、毎晩毎晩酒盛りが2時まで続き(カタリンは、朝7時には仕事に行くんだけどね)、昼はぐっすり寝て、おいしいものを食べるというちぐはぐの生活の為、確かに風邪は治ったけど、パリンカが治してくれたのかどうかは謎。
完治するまで、結局一週間を要してしまい、本当は3日滞在予定だったんだけど、カタリンの好意に甘えて長居しちゃった。久しぶりにゆっくりでき、おいしいものを食べ、きれいな紅葉をエンジョイでき、そしてラクラとカタリンと色んな事を語れた一週間。すばらしー一週間だった。


Brasovの要塞に遊びに来ました~
人通りの少ない要塞の中
 


立ち話に花を咲かせるおばさんたち
「紐道」と言われる一番細い道
ラクラの手料理はサイコー!




やっぱりここでも麻紐に通して売ってるcovrigi








あまりにもカタリンと仲が良くなりすぎて、最後にMaramures(マラムレシュ)地方へ向けて出発すると
きは、辛かった~。カタリンが、仕事の合間に駅まで送ってくれたんだけど、「本当にもう行くの?まだいてもいいんだよ」とか「あー、今日は電車がきっとストライキで止まってるよ。もうちょっとブラショフに滞在しないといけないと思うよ」とかずっと言ってくれて、私たちも「行きたくないよ~!!」って感じでねぇ。うぅっ。

カウチサーフィンは、出会いも多いけど、別れも多いという事に気づいたちょっとセンチメンタルなブラショフの滞在でしたとさ…。


●もっと写真が見たい人~!

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