2010年11月2日火曜日

Serbia, Bosnia&Herzegovina, Croatia: 平和について考える

[セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア]


銃弾攻撃を受け崩壊した建物
第二次世界大戦以来に紛争・戦争があった国々を訪れる度に感じてきたように、少ししか時間がないのは残念だけど、今回も90年代と言う近い過去に紛争を経験した旧ユーゴスラビアの国を数国(セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ・クロアチア)周る機会に恵まれて良かったと思う。

日本からはなかなか観光に来ようと行っても西欧に比べると航空便も少なく高くて簡単に来れないし、何よりゆっくりカウチサーフィンしながら地元の人に話を聞きながら周るなんて、時間が限られている有休を使った旅行ではなかなか難しいし。今みたいに時間がたっぷりある時に行っておかないと。


日本でのほほ~んと平和な世界に生きているのは良い事だけど、ぬるま湯に使っていると、熱湯や冷水がどんなに辛いか忘れてしまうと思う。

戦争の事は、実際に体験して学ぶよりも歴史から学んだほうが良いのは当たり前。
平和な今でも平和な公園に銃禁止のマークが
だから、ちょっと自国隣国の情勢が危なくなって「じゃあ日本はどうするか、何らかの形で応戦しよう」という軍事を軍事で応える結論を出す前に、過去の日本がしてきた加害行為・被害事実を振り返るだけじゃなくて、一人一人普段からできるときに、実際に戦争を体験した一般市民の、特に自分と同じ年位の人の話を聞いてみるべきだと思う。
戦争は、結局勝っても負けてもlose-loseのゲームでしかない事がわからないと同じ過ちを犯してしまう。
「過去から学んで同じ過ちを犯さないように」というのは、歴史博物館で見たり、今でも戦争の話になると良く聞くフレーズ。でも、写真を見たり数字を見たりするのも一つだけど、実際自分が戦争体験者の話を聞いたときの衝撃はもっともっと大きいから、機会があったら是非このブログを読んでくれている人もサラッと聞き流さないで自分から出向いていって話を聞いてほしいと思う。


お世話になったフリーツアーガイドのネノ君
さて、まだまだ記憶に新しいユーゴスラビア紛争は、語るときの辛そうな人の表情だけでなく、今も平和の中に生々しく町のあちこちに残る弾丸の後や、崩壊してそのままになっているスナイパーズ・ネスト(スナイパーの巣)の床に散らばっている無数の弾丸の殻から体で感じる事ができる。

滞在時間は短かったけど、今回、旧ユーゴスラビア紛争を実際に体験した人たちの話を色々な方面から聞く事ができたのも、すごく良かったと思う。
多くの人はまだまだ思い出すのが辛くて口を閉ざしているのに、心を開いて話してくれる人に出会う事ができたのは、カウチサーフィンや他のバックパッカーからの情報のお陰。

セルビア(ベオグラード)のカウチサーフィンのホストのラデ、ボスニア・ヘルツェゴビナ(サラエボ)のフリーガイドをしている学生のネノ、そしてクロアチア(ドブロヴニク)のホステルのオーナー。イスラエルでも兵役をしている時に実際の戦場で戦争に参加した同じ年のイタイ(イスラエル)の話も聞けたし。
それぞれ、加害・被害の立場は違うし、ひとつの事実についてもやっぱり意見は食い違っているけど、その時の自分の実際に体験した事を色々語ってくれ、オープンに私たちの疑問に答えてくれてすごく感謝。そしてみんな口をそろえて、辛くて許すのはなかなか難しいけれど、過去にしがみついているよりは、前に進んで行きたい、殺し合いはもう嫌だと言っていたのが印象的だった。

地元の人はもう気にならないと言う住居に残る弾丸痕
共産党時代、戦争、EU加盟と次々と変わっていく市民の生活は大変そうで、何よりも経済が安定していないのが一番辛いとか。
昔の共産党時代の名残で、公務員が多いけど、公務員の払う税金は優遇されているため、残り少ない民間企業に働く人が払う税金で国の財政をまかなわないといけなくて上手く歯車が回っていないとか、EU加盟に向けてがんばるのはいいけど、加盟したら今度はルーマニアの様にどんどん西欧の都合のいいように経済が動かされ、一般市民は更に苦しくなる心配があったり。
 日々の生活に追われ、壁の残る弾丸の後ももう気づかないくらい「普通」になってしまっているらしい。でも、私たちみたいな観光客にはやっぱり見るのが辛く、刺激が強い。生活して意識しなくなっても、無意識の精神的な影響は良くなさそう。
かといって、弾丸の後を一生懸命隠すのにお金をかけ、他のところがおろそかになっている所も多いようで、バランスが大切みたい。
経済が苦しくても、私たちみたいなバックパッカーに知識や食べ物、泊まる所を快く分け与え、笑顔で迎えてくれた温かい国々。今後も復興に向けて、ゆっくりでも着実に進んでいってほしいと願わずにはいられなかった。
 


サラエボのスナイパーストリート。歩くとスナイパーの標的になるため紛争中は人通りがなかった。黄色のHoliday Innは国際ジャーナリストが滞在していたため、標的から外されていた。

実際に使われていた戦車


モスタルのスナイパーズネスト。遠くからは何もないように見えるけど…

スナイパーズ・ネスト。戦争時のまま手付かずに残っている
特に誰も管理していないため、中に入って歩いてみて周れるスナイパーズ・ネスト内部
過去と現在
至る所に転がっている弾丸の殻(茶色いやつ)
弾丸の殻

壁に鳥肌が立っているみたい…
 


●おまけ
サラエボに行く機会があれば、英語のFree walking tour(チップベースなので、ツアー自体は無料で、最後に納得が行く分のチップを渡す)がお薦め。これは、会社ではなく、一人の政治学専攻の学生が、サラエボを知ってもらおうと自主的にやっているツアーで、あまり大きなグループでやるツアーが好きでないため特に宣伝はせず、口コミでバックパッカー達にひろがっているツアー。
2時間半、みっちりとサラエボの色々なところに連れて行ってくれるばかりでなく、「体験を広める事で戦争をなくす」事を信じていて、自身の子供のころの戦争体験を話してくれたり、こちらの色々な戦争の疑問に嫌な顔せずちゃんと答えてくれる。すごく勉強になった。

●もっと写真が見たい人~!

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